君しかいない


「……散らかってますね」
「そうかい? 必要な物を置いておいたらこうなっただけさ」
レンの発言を聞いてトキヤは眉を寄せて、咎める視線をレンに向けた。
ドアが2回ノックされて「どーぞ」と反応すると、トキヤが顔を覗かせたのは1分前のことだ。
「レン、今大丈夫ですか?」
と、伺うトキヤにレンは「大歓迎さ」とウィンクしてみせた。
そして「失礼します」と入ってきたトキヤは室内のレンのスペースを見て「……散らかってますね」と呟いた。
「それで、何の用だい? 久しぶりに俺に会いたかったのかな?」
長期休暇に入ってから、顔を合わせる回数は少なくなっていた。
トキヤの顔を見るのは5日ぶりだ。
「違います」
しかしトキヤはにべもない。
レンは、そう言いながらも少し赤くなったトキヤの頬を見つめる。
彼は自分の顔が赤いことに気づかないまま口を開く。
「聖川さんからメールで頼まれました。自分がいない間にあなたが部屋を汚さないよう片づけさせてくれと」
「あいつはいなくてもうるさいねえ」
真斗は3日前から実家に帰っている。
帰るのは1週間と言っていたから、今日を入れて後4日は帰ってこない。
その間は自由だと思っていたレンが愚痴るとトキヤは呆れる。
「聖川さんが正しいですよ。散らかっていて見苦しいです。座っていないで、早く片づけてください」
「うーん、イッチーが手伝ってくれるなら片づけてもいいかな」
「嫌です」
立ち上がって、腕を組んでそっぽを向くトキヤに近寄ると一瞬だけ視線が向けられたがすぐに逸らされる。
じっと見つめてみても、彼は頑なに視線を合わせようとしない。
「手伝ってくれないのかい?」
「お断りします」
「イッチー冷たい」
「……冷たくて結構です」
レンが拗ねた風に言ってみせるとトキヤは微かに表情を暗くした。
結構ですとは全く思っておらず、その評価を気にしている表情だ。
相変わらず素直じゃないなと心の中で呟く。
「手伝ってくれたら何かご褒美をあげるけど」
「……いりません」
そう言いつつも、甘い誘惑に思わず釣られたトキヤの視線が向けられると同時に微笑みかける。
トキヤは息を呑んで、素早く顔を俯かせた。
女性にそうした時と同じ反応をするトキヤに笑いそうになるが、優しく話しかける。
「なら、仕方ないな。……ああ、そこの楽譜、机の上のファイルに挟んでおいてくれ」
彼の足もとに落ちている3枚綴りの楽譜を指して言うと、トキヤは何も言わずにそれを拾い上げて机上のファイルに挟みこんだ。
あんなに嫌だと言っていたのに素直に従うトキヤを見てレンは笑う。
レンに背中を向けていたトキヤがくるりと向き直る。
「とにかく、片づけてくださいよ」
「それで、そのファイルは棚に立て掛けといてくれ」
「だいたい、整理していれば必要なものはすぐに手に取れるんです。散らかす必要なんてありません」
「そこのCDはCDラックに戻してくれたらいい。同じアーティストの所にね」
「音也も何度注意しても散らかしてばかりで……、乱雑に物を置いていても平気な神経が私には分かりませんね」
「本棚の上から3段目の左端にある雑誌を取ってくれないか」
レンに説教をしながらもトキヤは指示通りに動いている。
無意識なのか、結局は甘い正確故なのかは分からないが、声をあげて笑うのを堪えてそう言いつける。
背中を向けているトキヤにはニヤニヤとしているレンは見えていない。
その雑誌を手に取ったトキヤの反応が楽しみで仕方がない。
「あなたも音也も、他人と同じスペースで共同生活をしているという意識を強く持つべきです。……何ですかこの雑誌!」
ここにはいない音也にまで説教をしていたトキヤがようやく自分が手に取った雑誌に気づいた。
「ん? HAYATOのヌード雑誌だろ」
「ヌードではありませんっ!!」
トキヤが顔を真っ赤にして雑誌を背中に隠す。
レンが彼に取らせた雑誌は先週発売されたファッション誌だ。
この号ではHAYATOのセミヌードグラビアが特集されている。
「何でこんなものを買っているんですか!」
「俺もアイドルデビューしたらそんな風に特集される可能性は十分にある。だから、その為の勉強さ」
「だからって、HAYATOの時でなくても……!」
可哀想なくらいに顔を真っ赤にして、薄らと涙ぐんでいるトキヤの手を引きソファーに座らせる。
雑誌はまだ背中に隠したままだ。
今更隠されたところで、穴が開くほど目を通しているから意味はない。
自分もその隣に座り、苦笑いを浮かべた。
「まあまあ、恥ずかしいのは分かるけど、脱いだのはあくまでHAYATOだろ? イッチーが脱いだ訳じゃないんだからさ」
「……」
噛みしめた唇を震わせたトキヤは半泣きでレンを睨む。
HAYATOの正体がトキヤである事をレンが察していると彼はまだ知らない。
これ以上騒いでも変に思われると考えた彼は何も言えなくなっている。
「だけどそんなに恥ずかしいなら、それはイッチーが処分してくれていい」
「そうします! ……あ、兄のこんな写真など世に広めたくありませんからね!」
「お兄さんが人気アイドルってのも辛いねえ。まあ、気持ちは分かるよ」
トキヤの弁解にレンは同情したように喋り、ソファー横に置いてあるマガジンラックから1冊の雑誌を取り出して広げた。
途端にトキヤが声にならない声をあげて、レンの手から雑誌を奪いに掛かる。
「前も後ろも見せてはないが結構際どいよなあ……」
体と腕を使いトキヤの手を防ぎながら、彼に処分を任せた物とまったく同じ雑誌のHAYATOのグラビアページを見て感想を述べる。
ベッドの上で横たわるHAYATOをシーツが覆ってているのは必要最低限な場所だけだ。
特集の中で露出度が最も高いこのページを凝視して、トキヤは口をパクパクとする。
「な、なんでっ……!」
「保存用さ。鑑賞用はさっきイッチーにあげちゃったしね」
「保存してどうするんですかっ! いいからそれを渡して下さいっ!!」
普段は冷静沈着な態度しか見せないトキヤが真っ赤な顔でうろたえ慌て、必死に雑誌を奪おうとしている姿にレンは笑う。
彼はレンの背中にくっつくようにして、レンの手にある雑誌に一生懸命手を伸ばしている。
身長差と体格差、何よりも余裕の無さのせいでトキヤがレンから雑誌を奪うことは至難の業だ。
レンは悠々とページを捲る。
次のページにはベッドに仰向けに寝ながら、右手を顔の横に投げ出して、流し目を向けるHAYATOのへそのしたまでが映っている。
白くて引き締まった細い体は何にも隠されていない。
「へえー、HAYATOって腰がこんなに細いんだ。それにいい体してるね。イッチーもそう思うだろ?」
「思いません!」
トキヤがレンの体を押しながら半ば叫ぶ。
「それにしても、この表情はイッチーぽいな」
トキヤの動きが止まり、余裕が全くない目でレンを見つめた。
そのページを見せつけると彼は顔を逸らす。
HAYATOはいつもの笑顔を浮かべずに、うっすらと唇を開き、目を細めてカメラを見つめる横顔には普段にはない色気が溢れている。
このクールな眼差しはHAYATOではなくトキヤのものだし、時折彼が無意識に放つ色気と同じものだ。
「っ、そんな事……」
周囲の者に自分がHAYATOである事が知られてしまうのを心から恐れているトキヤが少し顔色を悪くした。
「それよりイッチー。随分と積極的じゃないか」
「……何のことですか?」
レンの言葉に不安げな目を向ける彼に口角を上げる。
「今の体勢を見てごらん」
「……っ! す、すみません」
激しい攻防の為にいつの間にかソファーに横たわるレンの上にほぼ密着するようにトキヤが覆い被さっている体勢になっていた。
トキヤが急いで体を起こす。
レンも体勢を直して、ページをパラパラと捲った。
シャワーを浴びる姿や着替え中の姿が数ページに渡って掲載されていた。
トキヤが最も嫌がりそうな仕事なのによくこの仕事を受けたものだ。
懲りずに雑誌に伸ばされるトキヤの手を掴んで止める。
「まあ双子なら表情だって似るものか。イッチーも同じように写真を撮って比べてみるかい? ほら、脱いでごらん」
掴んだ手を引き寄せ、空いている手をトキヤの胸元にやる。
「比べませんっ! 脱ぎませんっ!」
指先がシャツに触れた途端、トキヤが雑誌でレンの後頭部を殴りつけた。
容赦ない力に、彼がいっぱいいっぱいになっていることがよく分かる。
痛む頭をさすりながら、レンは自分が持っていた雑誌をトキヤに渡した。
「悪かったって。これも持っていきなよ」
「……捨てますからね」
「ああ、構わないよ。もう頭に入ってるからね」
トキヤはまた顔を赤くしたが、何も言わなかった。
レンもまた、本当は後3冊同じ雑誌を購入していることは言わなかった。
2冊の雑誌をテーブルに置き、絶対に触らないでくださいと言うようにレンを睨みつつトキヤが立ち上がる。
「全く……いいから片付けなさい!」
腰に両手を当てて怒るトキヤにレンは微笑んだ。
「何を笑ってるんですか」
「いや、母親はこんな風に怒るものなんだろうなと思っただけだよ」
「……私はあなたの母親ではありません」
トキヤが目を逸らし、小さな声で言う。
他人の弱みに弱いようだ。
「分かってる。イッチーは俺のとっても可愛い友達さ」
レンが敢えてそんな風に言うと、彼は目を伏せた。
トキヤが自分をどう想っているかは知っている。
レンがちょっかいをかけたり甘やかしたり優しくしているうちに、トキヤの中にその感情が芽生えて育っていた。
そして今の言葉をどう思ったかも想像できる。
いつもの冷静な態度を崩して、レンの言葉や態度に微かに一喜一憂する姿を見ているのは可愛くてたまらない。
その為、つい彼をからかったり少しいじめてしまう。
レンは立ち上がり、テーブルの足もとに落ちていた本を手に取る。
「まあいい。少しは片づけるとしよう。手伝ってくれるんだろう?」
「……分かりました」
トキヤを見つめて確認するように言えば、予想通り彼は承諾した。








ふたり掛かりで片付けを始めると苦もなく部屋は綺麗になった。
これなら聖川も文句はないだろう。
部屋を見渡したトキヤも「これでいいでしょう」と頷く。
レンはソファーに座り込み、トキヤに手招きをする。
彼は突っ立ったまま、躊躇う素振りを見せた。
「イッチー、おいで」
「……犬みたいに呼ばないでください」
そう言いながらもレンの隣に座ったトキヤは確かに犬ではなく猫のようだ。
レンが小さく笑い、トキヤの髪についた埃を払ってやる。
恥ずかしそうに顔を俯かせるトキヤは本当に可愛い。
「さて、ご褒美は何がいいんだい?」
「別にいりません」
トキヤはレンに1秒だけ視線を向けたがすぐに視線を正面に戻す。
整った彼の横顔を見つめながら首を傾げる。
「ケーキでも買ってこようか?」
「食べません」
レンが笑いながら言えばトキヤは不機嫌な声で答える。
こう答えるのは分かっていた。
「イッチーはいつでもダイエット中だからなあ」
「うるさいですよ」
からかうと彼がますます不機嫌になり、肘掛けに頬杖を突いてむくれる。
不機嫌そうにしているのは羞恥を隠すためだ。
いちいちそんな反応をするから、レンはどうしてもからかいたくなってしまうという事をトキヤはいい加減に知った方がいい。
レンがトキヤとの距離を詰めると腕が重なった。
「本当にいらないのかい?」
「そこまで現金じゃありませんよ」
不機嫌さを繕うのを止めてトキヤは首を振る。
しかし、レンが最初に「ご褒美をあげよう」と言った時には反応を見せていた。
それを指摘すればまたむくれてみせるのが分かっているので、口にはしない。
「イッチーが俺にしてほしいこと……、何でも、してあげるけど?」
トキヤの肩に手を置き、耳元に囁きかける。
その瞬間にトキヤは肩を跳ね上げて身をすくめた。
唇を寄せた耳が赤くなっていく。
「どう? それでもいらない?」
トキヤの頬を撫でて甘く微笑む。
「……いりません」
しかし彼は無感情な声で断って、レンの手を振り払い、肘掛けの向こうに身を乗り出すようにして逃れる。
「イッチー」と優しく呼びかけても、警戒してこちらを見ている。
レンはそれ以上の接触やからかいは放棄して、反対側の肘掛けに身を預けた。
どんなに言っても、トキヤはまともなご褒美を求めることをしないと分かっている。
言葉にはしなくても、彼も心の中では、いろいろと考えたり思ったりしている。
それでも、そのうちの一つも言葉にせずに終わってしまう。
それを知っているからこそ、レンはこんな風に誘いかけた。
しばらくの間レンの様子を窺っていたトキヤはふっと警戒を解いて、眉尻を下げた。
力を抜いたのではなく、寂しさと切なさが混じった表情をしている。
背もたれにもたれかかり、長いまつげを伏せて目元に影を落とす。
長めの横髪が頬を覆う。
「どうせ私がねだっても、あなたはそうしてくれないでしょう」
形のいい唇が小さく動いてそう言葉を発する。
「どうしてそう思うんだい?」
「あなたは意外と優しいので、もしかしたらそうしてくれるかもしれませんが、それでは何の意味もありません」
レンの問いかけに答えず、彼は話を続けた。
目をレンに向けることなく、自分の膝もとを見つめている。
「はっきり言ってくれないと分からないな」
本当はトキヤが何を求めているか分かっているけれど、レンはトキヤにそうして欲しい。
寂しくて切ないのはお互い様だ。
誰かからの愛が欲しくて堪らないのはどちらも同じだ。
相手に求めてほしいとふたりとも思っている。
「……分からなくていいんです。とにかく、お礼もご褒美も必要ありません。私は聖川さんに頼まれたから来ただけです」
自分自身に聞かせるように言い切ったトキヤがレンを見る。
その表情にはもう寂しさや切なさはどこにも感じさせなかった。
トキヤは立ち上がって雑誌を回収してから、レンに背を向けてドアへと向かって行く。
白い項が夜を思わせる濃紺の髪に見え隠れしている。
彼がたった今隠しきって見せた寂しさがもう溢れていた。
レンは静かに息を吐く。
たった一つと言えどトキヤは年下だ。
折れるのは年長者の仕事だ。
「イッチー」
静かに呼びかけて、後を追う。
振り向いたトキヤの腕を掴んで引き止め、顔を寄せる。
目が見開かれるのを間近で見た。
雑誌が床に落ちる音を聞いた。
鼻先がほんの微かに触れ合う。
薄く開いた彼の唇が声もなく「レン」と呼んだ。
お互いの呼吸が感じられる場所まで唇を近づけたが、レンは一瞬動きを止める。
そして、トキヤの鼻先にキスをした。
「トキヤ。俺が好きなのはトキヤだけだよ」
レンがそう囁きかけてから、1歩離れた。
トキヤは目を丸くしている為、いつもは全くない幼さが感じられる。
「レン」
掠れた声が名前を呼ぶ。
それだけで嬉しくて堪らなかった。
しかしいつまでも見つめてくるトキヤの視線がいたたまれず、顔を背ける。
「……顔、赤いですよ」
「……そういう事は言わなくていいんだ」
顔を合わせられないまま、鼻先を指で軽く弾く。
彼が俯いたのが横目に見えたので顔を向けると、すぐに顔を上げる。
トキヤは見た事がないような笑顔を浮かべていた。
少し泣きそうになりながらも、微笑んでいる。
今までに見た他の誰のどんな笑顔よりも、レンの心を満たす笑顔だった。
「レン。私も……――」