わん おー わん


「あっ、見て見てトキヤ! あそこ! すっげー可愛いっ! 触らせてもらおーっと、すいませーんっ」
目的に向かって駆けだす音也の背中を見送りながら、トキヤは嘆息した。
休日の今日、音也とトキヤのふたりで街のCDショップへと買い物へ来た。
目当てのCDも買い、コーヒーショップで一息ついた今はもう寮へと帰るのみだ。
トキヤは「すっごく可愛いなあ! 映画で見たことある種類だー! 黒のブチブチが可愛いなー本当!」と興奮気味に喋る音也に近づく。
彼は道端にしゃがみこんで、20代の女性が連れているダルメシアンをひたすらに撫でまわしていた。
音也が散歩中の犬に駆け寄っては撫でまわし可愛がるのは今に始まった事ではない。
彼と学園の外に出かける度にある光景だ。
「名前は何て言うの? 俺は音也だよっ。わあ、本当可愛い!」
音也がキラキラと満面の笑みで犬と戯れているのを、飼い主の女性は少し頬を染めながら微笑んで見ていた。
さすがはアイドル候補生と誉めたいところだが、トキヤは眉を寄せて話しかける。
「……音也、いい加減になさい」
「トキヤも触らせてもらいなよ!」
「いえ、私は」
「すっごく毛艶がよくて、触り心地いいんだよっ。トキヤみたいにさ!」
犬の毛艶と並べられたトキヤは表情を苦くした。
これからはもっと髪の手入れに力を入れようと決意する。
「ほらほらっ」
「……すみません、失礼します」
断り続けるよりも、一度触ってやる方が早く済みそうだと判断し、女性に断ってからダルメシアンの頭を撫でる。
確かに、毛並みも毛艶もよくて、しっぽを大きく振りながら黒く丸い瞳でトキヤを見つめる姿は可愛らしい。
思わず何度か撫でた後、トキヤはふと気を取り直して音也を止めた。
「音也、もう行きますよ」
「あ、じゃあペットショップ行こっ! ありがとうございましたー!」
音也がそう言って、女性と犬に手を振って歩き始める。
数歩先に行った音也に並び、トキヤが顔をしかめた。
「もう帰るのでは?」
「ちょっとだけっ、ね! 近くにあったし!」
通常通り、彼はトキヤの話を聞かずにペットショップへと足を進めていく。
一体いつになればトキヤの話を聞いてまともに対応してくれるようになるのだろうか。
きっと先ほどの犬の方が話を聞いて指示に従ってくれるだろう。
そう思いながら、トキヤは足を止めて彼の背に言う。
「なら、私は先に寮へと帰りますよ」
「えー、俺とペットショップデートしようよ!」
『デート』の単語に怯んだトキヤの手首を掴んで音也が引っ張る。
力強くトキヤを引っ張って歩く姿は、リードを引っ張る犬そのものだ。
ここで"待て"を掛けたところで音也が聞く耳を持たないのは目に見えている。
トキヤは諦めて、音也と共にペットショップへと向かった。
手を振りほどきたくなかったという自分の気持ちには気づかない振りをする。


「かっわいいー! どれも可愛くってたまんないなあ」
ペットショップに着いて、様々な動物が並ぶケースを見て音也は目を輝かせた。
空いている中、小動物や鳥、うさぎが入ったケースを見ては逐一感想を述べてはしゃぐ。
トキヤはその度に「そうですね」を繰り返しながら、後を付いて行った。
動物は決して嫌いではないし、可愛さに少し心が和むような気分にはなるが、音也のように声をあげてはしゃぐことはできない。
犬が並ぶコーナーまでたどり着いた音也がガラスにへばりつくようにして食い入る。
「でもやっぱり犬だよなあ、どれもいいなあ」
「そうですね。……もう帰りましょう」
「ちっちゃいのも可愛いし、おっきいのもかっこいいよねぇ。あ、さっきのと同じ種類だ。子犬だからまだちっちゃーい」
試しに帰りを促すが、予想通り音也は聞いていない。
それでも懲りずに「そうですね、もう帰りましょう」と繰り返すが音也はうっとりと子犬を見つめている。
「このダルメシアン、映画みたいにたっくさん飼えたら幸せだろうなあ」
「……そうですか?」
トキヤは首を傾げた。
あんなに飼っていたら食費がかさみ、散歩や世話も大変だろうという気持ちにしかならない。
「それで一度に全員で散歩行くんだっ」
音也が多数のダルメシアンを引きつれて散歩をする姿は容易く想像できた。
きっとどの犬からも好かれて囲まれたまま、和気あいあいと散歩をするのだろう。
「……似合いそうですね。ですから、早く帰りましょう」
「ねえねえトキヤ」
ずっと動物たちを見ていた音也がしばらくぶりにトキヤを見た。
トキヤの「帰ろう」という言葉を聞き流したに違いない音也はいつにも増して輝いた笑顔を浮かべている。
「俺達が卒業オーディションに合格して、事務所の寮に入ったら一緒に犬飼おうよ! トキヤは何の犬がいい?」
しっぽが生えていれば大きく振っているであろう程、にこにこと笑う音也を思わず見つめる。
「……音也」
名前を呼んでも、次の言葉が浮かばない。
「なに? 俺は……うーん、何がいいだろうなあ。選べそうにないや」
「……」
彼の発言には指摘する部分が多すぎて、どこから指摘すべきかとトキヤが思い悩むが、最初から指摘する事にした。
「まず、あなたは私と共にオーディションに合格する気なんですね?」
「そうだけど? そのために今まで頑張ってきて、これからも頑張るんだよ?」
ならば、課題にもしっかりと取り組み、歌唱力を上げるよう毎日練習しろと説教したくなったが、話が長くなりそうなので断念する。
トキヤは頭を振って開口する。
「……事務所の寮はペット禁止のはずです」
「えっ!? ……なら、他のとこ借りたらいっか。トキヤはどの辺に住みたい?」
ほんの一瞬だけショックを受けた表情をした音也はすぐにトキヤにすり寄って首を傾げる。
トキヤは目を揺らがせながらも、音也の目を見た。
「……卒業しても、私と一緒に住むつもりなんですか?」
「そう!」
よく目にする音也の屈託ない笑みが今はとても明るく見える。
トキヤに何の相談も無しに、とても大事なことを決めてしまっている音也の目に迷いは一切ない。
どうしてだかトキヤは少し泣きたい気持ちになった。
自分勝手なはずの音也の考えがトキヤにとっても、そうであればいい、そうでありたいと願い思っていたものと同じだったせいかもしれない。
トキヤが抱えていた卒業後の不安を音也が簡単に吹き飛ばしてくれたせいかもしれない。
しかし、すぐにその気持ちを振り払い、肩をすくめた。
「……犬は今いる一匹だけで十分です」
「トキヤって犬飼ってるの?」
会わせて! 触らせて! と言いたげな音也の鼻を指で弾く。
「ええ、あなたが犬みたいなものですよ」
「……それ、他の奴からもよく言われるんだぁ」
音也は鼻をさすりながらぼやくように言った。
「全員考える事は同じという事ですね」
人懐っこく明るい性格は犬そのもので、音也と接した者全員がそう思うだろう。
「あ、トキヤ!」
突然大声で人の名前を呼ぶ姿も、犬が飼い主を呼んでいるようだ。
トキヤは、つくづく犬っぽい男だと思いながら音也を見る。
「わん、わん、おっ!」
そして音也は言葉に合わせ、顔の横で右手を握り、次いで左手を握った後、首を傾げて微笑んだ。
トキヤは聞き慣れない言葉と突然のポーズに困惑した。
「……はい?」
「これ、他の奴に言ってみろって言われた言葉なんだ。俺っぽいからだって。何かよく知んないけどね」
音也自身がよく知らない言葉を言われても、トキヤだって分からない。
再び「わーん、わーん、おぅっ」と言いながらポーズを取る音也を慌てて手で止める。
「分かりました、分かりましたから止めなさい」
謎のポーズを繰り返す音也に店員が好奇の視線を向けているのだ。
「はーい」と音也は素直に手を下ろす。
そして彼の視線がケースの中の子犬のダルメシアンに向き、トキヤはほっとした。
頭痛がしている気がする。
そのまま大人しく眺めて、「帰ろっか」と言ってほしい。
「……トキヤ!」
「今度は何です」
「ワンオーワン!」
注意深く尋ねると、音也がダルメシアンを指差す。
「……そうですね」
彼の言いたい事を察して、投げやりに頷いた。
いい加減寮に戻って買ったばかりのCDを聞きたいのに、音也はまだ帰ろうとしない。
今ここでリードを購入し、音也の首に括りつけて引っ張って帰ってやろうかとぼんやりと考える。
「わん」
「音」
人差し指を立て、また同じ言葉を発する彼の名前を口にしかけたがそれに被せて音也は続ける。
「おー」
そう言った音也は腕を大きく広げてトキヤに抱きついた。
驚いたトキヤがもがいても、彼は右手を離すだけだった。
その右手の人差し指がトキヤの胸を押す。
「わんっ!」
犬の鳴き声のように言った音也がトキヤから離れる。
彼を理解しきれていると思った事もないが、これほど理解できないと思ったことはない。
トキヤが言葉を失っていると、音也は笑った。
「へへっ」
「っ、へへっじゃありません!」
周囲の目がある中で抱きついてきた音也を叱りつけてやろうとしたが、先に彼が喋り始める。
「アルファベットの"O"てさ、ハグの意味もあるんだって! 知ってた?」
「それは知っていますが」
「でさでさ、俺とトキヤの苗字って一が入ってるだろ? 一十木と一ノ瀬!」
「それがどうしたんですか」
トキヤがイライラと話しても音也は変わらずに笑っている。
「だから、ワンオーワンって俺がトキヤを抱きしめるって事じゃんって思ったんだ」
「……そうですか」
今の行いを説明されても、やはりどこか理解しがたい。
突拍子のなさに呆れてしまって説教の言葉はどこかへ消えてしまった。
犬のしつけは悪い事をした直後に叱らなければならないと聞いたが、きっと音也も一緒だろう。
「本当はさ」
音也が一度言葉を区切り、トキヤの耳に唇を寄せた。
「今すぐ"X"の方もしたいけど、それは寮に帰ってからね」
低い声で囁きかけた音也が顔を離し、目を細めて笑う。
音也はいつの間に"待て"を習得したのだろうか。
トキヤは顔を熱くしながら、そう思った。
「……だから、早く帰ろうと何度も言っているではないですか」
「うん、そうだね。帰ろっか」
優しく微笑んだ音也はトキヤの手を握って、並んで歩き始めた。