Teach me!
「――これで準備はいいでしょう」
鏡の前で最終確認。
頭からつま先、更に後ろ姿も問題ありません。
完璧です。
手伝ってくれた七海君や渋谷君も絶賛してくれましたし、今回はうまくいくことでしょう。
バッグを肩に掛けて鏡を離れる前に、営業スマイル。
もう一度言いましょう。
「……完璧ですね」
靴はフラットのパンプス、濃紺の膝上丈のワンピースにトレンカ、喉もとは花柄のストールで隠す。
髪は自分のものと同じ色で肩までの長さの巻き髪のウィッグ。
完璧な女装姿です。
これなら、前回果たせなかった『男性にナンパされる』という目標を果たせるに違いありません。
学園を出て、駅前の繁華街まで来ると、若者で溢れていました。
ここが一番ベストな場所でしょう。
私はすぐにコーヒーショップへと入りました。
正直ブラックコーヒーしか飲みたくないのですが、それでは可愛げがありません。
カフェラテにしておきましょう、もちろん無脂肪乳に変えてもらうのも忘れずに。
注文したカフェラテを受け取り、ガラス張りの窓際の席に座りました。
『一ノ瀬さんは背が高いから、なるべく座ってる方がいいと思います』とは七海君の言葉です。
確かに身長が180近い私が立った状態では、翔のような背の男は声を掛けにくいでしょうね。
それに、この席なら店内の男にも外を歩く男の目にも止まります。
私は少し甘いカフェラテを口にし、声を掛けられるのを待ちました。
「……おかしいですね」
私は華奢なデザインのピンクゴールド色の腕時計で時間を確認して、思わず呟きました。
ここに座ってもう20分経ちますが、誰も声を掛けてきません。
予定なら今頃二人組の男に声を掛けられ、「メルアド教えてよー」と頼まれるのを「え〜っ、どうしようかなぁ〜」と焦らしているはずなのですが……。
どこで予定が狂ったのでしょうね。
後少し残っているカフェラテはもう冷めています。
ふと広くない店内を見渡せば、ここにいる男は全員女性連れなことに気づきました。
窓の外を見れば、通り過ぎる者は誰も店内の様子など気にしていません。
どうやら、ここでは勝算はないみたいですね。
カフェラテを飲み干して、店を出ることにしました。
しかし、街を歩いても何の成果もありません。
チラチラと視線を感じるものの、「今ひとり〜? 暇なら遊び行こうよ〜」だの「そこの彼女〜、お茶しなーい?」だのと言われません。
何がいけないのでしょう……。
がに股で歩かないように注意を払っていますし、仕草も女性らしくしています。
やはり身長でしょうか……。
世間では低身長の女性の方が好まれると聞きます。
しかし高く見せることは容易くても、低く見せることは難しい。
これはどうしようもありません。
後は顔ですか……。
「イケメン」とは時々言われますが……、女性として「イケメン」の言葉は……。
……そういえば、私を「可愛い」と言ってくる男がいましたね。
あの男にアドバイスを求めればよかったかもしれませんね。
あれならナンパする側ですから、色々と参考になるアドバイスが得られたでしょう。
……もうしばらく様子を見て、今回も駄目だったなら、次回は協力を求めることにしましょう。
バッグから携帯を取り出して、届いていた3通のメールを確認しました。
音也からの「今日ご飯作ってよー」という甘ったれたメールと氷室さんからの明日のスケジュールの確認のメール。
残り1通は、七海君からの「調子はどうですか?」というメール。
「……」
ため息を吐いてから、七海君にメールを返そうとした時。
「ねえ、落とし物だよ」
と後ろから聞こえてきました。
周りには私以外にほとんど人はいません。
「そんなに落ち込んでどうしたんだい? 何か悩みがあるなら俺が聞くよ」
足音をたてて、声は近づいてきます。
これは……、待ちに待ったナンパでしょうか。
私の女性としての演技力は以前より成長したということですね。
これなら、いつか女装の役が来ても問題なくやれるでしょう。
私は満足して微笑みながら、振り向きました。
「ほら、このハンカチ、君のだろ……ん?」
「……」
オレンジ色の長髪に、青い目、少し焼けた肌。
……どうやら私は浮かれすぎて、聞き慣れた声もそうだと分からなかったようです。
「……イッチー?」
「レン、あなたですか……」
珍しく驚いた表情で私を見るレンがそこにいました。
「それで、どうしてそんな格好でウロウロしてたんだい? 趣味?」
街角の花壇にレンと並んで腰かけると、レンが私の顔を覗きこんできました。
「そんな訳ないでしょう……。これは演技の勉強です」
「……オカマの演技? イッチー、そんな方向で売り出したいの?」
一度殴ってやろうかと思いましたが、今は女性なので止めておきましょう。
「女性の演技です」
「ふーん、熱心だねえ。まあ、可愛いけどさ。そんなイッチーも新しい魅力があって俺は好きだよ」
……可愛いだの、好きだの、よくもこんな簡単に口にできますね。
前々から思っていましたが、どうして男の私に「可愛い」などと言ってくるんでしょうね。
「で、一人で街をうろつくのが演技の勉強なのかい?」
「いえ。男性からナンパされるのを待っていたんですが、あなたが引っかかるなんて……」
完全に予想外でしたね。
レンとこうやって話していれば、他の男から声を掛けられる事はないでしょう。
今回も失敗でしょうか?
でもレンは話しかけてくれましたし……。
しかし、彼が私を見たのは背後からでしたし、誰でも口説くような奴です。
とにかく、さっさと別れて仕切り直さねば……、いや、改善点のアドバイスを貰っておきましょう。
「レン」
「……イッチーは男にナンパされたかったんだ」
気のせいでしょうか。
レンの口調にトゲがある気がしますね。
どうしたんでしょう。
「自分がどれだけ魅力的に見えているかを知るには、それが一番分かりやすいでしょう?」
疑問に思いながら私は答えると、レンが顔をしかめました。
「なに、それでナンパされてどうしたかったの」
「どうって……もしメルアドや番号を聞かれても教える気は……」
ただ声を掛けてくれさえすれば、私は満足していたのです。
適当にあしらって終わらせるつもりでした。
「男とラブホにでも行きたかった?」
「……何故そうなるんです?」
意味が分かりませんね。
レンは何を言っているんでしょう。
「ナンパってそういう事だろ」
「なら、あなたもそうしてるんですね」
「……俺のことはともかく」
否定しないという事は肯定ですね。
まったく、この男は……。
「仮にもアイドルを目指す者として、そのような女性遊びはどうかと思いますが」
「イッチーには関係ないだろう。それとも妬いてるのかい?」
「……あなたの言葉は先ほどから意味不明ですね。もう失礼します」
アドバイスを貰うつもりでしたが、意味不明な言葉を貰うだけだと判断し、レンを置いて歩き始めました。
付き合うだけ時間の無駄でしょう。
本当に腹立たしい。
いつもいつも、周りに女学生を侍らせて、誰にでも甘い言葉を囁くなんて、不誠実極まりない。
いい加減にあの身の振り方は止めるべきです。
それに、私が妬いている?
別に妬いてなどいません。
私はただ、レンがその様に不誠実に愛を振りまいているのが腹立たしいだけです。
どうして私が彼に妬かなければならないのか……。
周囲を取り巻く彼女らなど羨ましくも憎らしくもありませんよ、全然。
そんな事を考えていると、前方から歩いてきた茶髪の男と目が合ったかと思うと彼が話しかけてきました。
「今何してんのー?」
何してる……ですか。
ナンパ待ちともレンに腹を立てていたとも言えませんね。
「……歩いてます」
女性らしく、普段よりずっと高い声で答えました。
「そっかあ、じゃあ俺も一緒に歩こっと」
そう言って、大学生風の彼が私の肩に手を置いてきました。
……これはナンパでしょうか。
どうやらレン以外にも私の演技は通じるようです。
長い間歩いていた甲斐がありましたね。
「買い物でも行くの? それともデートに行くところ?」
「いえ……」
後はこの男を適当にあしらって逃げましょう。
とりあえずこの肩を抱いている手をどうにかしなくては。
鬱陶しいですね。
「イチコ!」
「……?」
今のはレンの声でしょうか。
イチコ……連れの女性の名前でしょうね。
「イチコッ」
「っ!」
背後から腕を掴まれて、引き寄せられる感覚。
「俺の彼女に何か用?」
「……レン」
気づけば私はレンに抱き寄せられていました。
少し呼吸をするだけで、レンの匂いがします。
「なーんだ、彼氏持ちかあ」
声を掛けてきた男は肩をすくめ、どこかへと去っていきました。
耳元にレンのため息が掛かり、視線を彼に向ければ呆れた顔でした。
「やれやれ、手の掛かる子だねえ」
「別に助けてもらう必要など……。そういえば、イチコって何ですか?」
「彼氏の振りするのに、イッチーて呼ぶのもおかしいかと思ってさ。イチゴみたいで可愛いだろ?」
忘れていました、彼にネーミングセンスは欠けているのでしたね。
私も呆れてため息を吐き、そして気づきました。
まだレンに抱き寄せられている体勢です。
慌てて離れたものの、レンが手を繋いできました。
しかも、指を絡め合うように、です。
「レンッ! な、何のつもりですか!」
「イチコちゃんが変な奴にナンパされないようにしてるだけだけど」
私と目を合わさず、普段とは違った無愛想な話し方でレンが言いました。
それが彼なりの心配の仕方だと、私は知っています。
知っているからこそ、照れくさくて素直に受け取る事ができないのは私の癖ですね。
「……変な名前で呼ばないでください。それに、それではこうしている意味がありません」
「さっき話しかけられたから、もう充分だろ」
「……」
引くに引けず、返答に窮していると、ふと何かを思い立ったらしいレンが私を見ました。
「そうだ、イッチー」
表情は一転して、子どものような満面の笑みが浮かんでいます。
レンのあまり見た事のない表情を見ていると、どうしてだか顔が熱くなりました。
熱でも出たんでしょうか。
「俺とデートしよう」
唐突な事を笑顔で言われ、私の思考は混乱しかけてしまいました。
レンとデート?
レンとふたりで映画を見たり、ショッピングをしたり、水族館や遊園地へ……?
……あ、ありえませんっ!
行きたくもありませんよ!
このまま、レンと手を繋いで歩くなど……。
……熱が上がってきました。
動悸も激しいですし、風邪でしょうか。
先ほどまでは全くその気配はなかったんですが。
とにかく、一刻も早く断ってこの手を振りほどくのが先決です。
「だ、誰があなたと」
「レディの演技を学ぶにはそれが一番いいと思うけどな。エスコートのされ方、可愛い仕草、話し方、それに男のハートを掴む方法、俺が教えてあげるけど?」
そう言ってレンは首を傾げました。
……確かに、私はレンにアドバイスを求めようとしていました。
ただ口で教えてもらうより、実地で教えてもらう方が効果的でしょうね。
「……でしたら、私の気が済むまでしっかりと教えてくださいよ」
「はいはい。じゃあ、行こうか。俺の可愛いイチコちゃん?」
念を押すように言えば、レンが空いた手で私の髪を撫でてきました。
「なっ、馬鹿ですかあなたは!」
「ダメダメ、普通のレディはそこで嬉しそうに『うんっ』て言うものだよ。ほら、やってごらん」
「……う、うん」
「もっと声出して、笑顔も忘れないようにね」
HAYATOを演じている私になら、この程度の事簡単に思えますが、何だか上手くいきません。
何故でしょうか。
しかし、こんなところで躓いている訳にはいきませんね。
一度大きく呼吸をしてから、レンを見つめました。
「うんっ」
笑顔を浮かべてレンの言うとおりにしたというのに、肝心のレンは目を見張って私を見るだけでした。
今のはよかったのか悪かったのかを教えてほしいものです。
「レン?」
「あ、ああ。とてもよかったよ……」
「そうですか。では、この調子でいく事にします」
私がそう言うと、レンはどこか困ったような顔をしましたが頷きました。
絡めたままの私の手を引いて、「まず、ショッピングでもしようか」と言うレンの横顔は普段と違って見えます。
その理由も、まだ治まりそうにない自分の突然の熱の理由も分かりませんが、今はレンとのデートを楽しむ……。
いえ、私は何を言っているんでしょうね。
熱で浮ついているのかもしれません。
……女性の演技について、しっかりとレンから教わる事にしましょう。
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