奪われるなんて
トキヤは普段、表情を変えることが少ない。
いつも落ち着いていて……いや、音也に振り回されてる時は怒りを露わにするけど、それ以外はあまり表情が変わることがなかった。今までは。
だけど最近、トキヤが穏やかな顔をする事がある。
ある条件の時にそっとトキヤの顔を伺うと、少し目を細めて、大体下がってることの多い口角がちょっとだけ上がっている。
その時に俺の視線に気づくと、「何ですか、翔」なんて言って、穏やかな顔を止めて普段の表情になる。
本人は気づいてんのかな、自分がそんな顔してるって。
それに、あいつも、トキヤがそんな顔であいつを……。
ある日の放課後に日向先生と話してたら、トキヤとレンと三人で課題曲を練習するって約束してた時間になってた。
レンはともかくトキヤは時間に口うるさいから早く行かないとな。
ってーか、レンはもういんのかな。
でもまあ、あのちょっと無茶苦茶な課題の提出の後からは、レンも前よりは授業や課題に取り組んでるからいるだろうな。
サボるとトキヤがうるさいのは目に見えてるし。
予約してたレッスンルームの前まで着くと、中が少し覗けるくらいにドアが開いていた。
なんとなく、ドアを開けずに先に中の様子を確認する。
トキヤとレンは小さな机を挟んで向かい合うように座っていた。
窓から差し込んでる夕焼けに二人が照らされている。
二人とも黙っていて、トキヤは楽譜を、レンは外を見ていた。
いい加減中に入ろうとドアを開けようとした時、トキヤが開口した。
「レン」
「ん?」
「……あの、お願いがあるんです」
「いいよ、何でも言ってごらん?」
ためらいがちに言ったトキヤにレンは頬杖を突いて答える。
辺りは静かだから、二人の声がよく聞こえてくる。
レンが「いいよ」と言ったってのに、トキヤはまだためらってる。
何を頼むつもりなんだ?
「イッチー?」
「……あなたの歌を、もう一度歌ってくれませんか?」
あー、なるほど。
ドアを押そうとしていた手を下ろして、物音を立てないように気をつけながら覗き見を続けることにした。
「なーんだ、そんな事か」
軽く笑ったレンが、校内放送をジャックして歌った曲を口ずさみ始める。
少しゆったりとしたテンポで、声を張らずに歌うレンをトキヤが見ていた。
その事を、目を閉じて歌ってるレンは知らない。
トキヤはやっぱり、穏やかな顔をしていた。
ここからは横顔しか見えないけど、優しい眼差しをレンに向けながら、小さく微笑んでいるのが分かる。
最近のトキヤがこんな顔をするのは、授業中、課題曲の練習中、レンの鼻歌……、とにかくレンが歌っている時だ。
レンに見られないようにしながら、歌うレンを見つめている。
最初は『やっとまともに歌に取り組んでいるんですね、いい事です』って気持ちなのかと思ってたけど、それにしては視線とか雰囲気とか、微笑み方が優しくて甘ったるい気がする。
同じクラスの女子が歌ってる時のあるヤツに向ける表情と似た感じで、トキヤもレンを見ていた。
優しさとか慈しみとか、それに愛情とかを込めた目で、他の奴は見えないし見てませんって顔で。
その目を見ていて、俺はトキヤの気持ちに気づいてしまった。
だけど、俺はそれをとやかく言う事はできない。
レンはまだ目を閉じている。
今、目を開けたら他のヤツらがびっくりするような顔をしたトキヤが自分を見てるって言うのに。
俺がそう思ってると、ふっとレンが目を開けて、トキヤを見た。
レンは絶対にトキヤの表情を見たはずなのに、驚いたりはしない。
俺が最初にトキヤのそれを見た時は、ひとりでうろたえたっていうのにさ。
レンと目が合ったトキヤが慌てて視線を逸らす。
その様子を見ながら今度はレンが微笑んだ。
たった今までのトキヤと同じ表情で。
……ああ、本当に何も気づいてなかったのは俺だったんだな。
そんなふたりの様子に、目が奪われるなんて不覚だ。
タイトルは世界の果てまでBelieve Heartより
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