二文字の言葉



音也はあるレコーディングルームの前に立ち、ノックも無しにドアを開ける。
そこには機材を触っていたらしいトキヤがいて、音也を見て微かに驚いた。
そしてすぐにその顔を曇らせて顔を俯かせた。
「練習中?」
明るい声を出しながら中へと入ってドアを閉める。
無言のままで音也を見向きもしないトキヤの表情は長い前髪のせいで見えない。
「相変わらず練習熱心だね」
「……あなたが遊んでるだけですよ」
小さな声でそう言うトキヤに一歩歩み寄れば、彼も同じだけ体を引いた。
音也は悲しくて少し眉を寄せる。
「トキヤ」
「すいません、体調が悪いので戻ります。まだ予約の時間は残っているので、使いたければ使ってください」
横をすり抜けようとしたトキヤの右手首を掴んで引きとめると、細い手首の先の手が大きく跳ねた。
「そっか、大丈夫?」
「え、ええ。眠ればきっとすぐに治まると思うので……」
背中を向けているトキヤの手を引いて、音也と向き合わせる。
一瞬だけ音也と目を合わせた彼は俯きながら手を振りほどこうともがいた。
けれど、音也はその手を離さずに距離を詰める。
またその分だけ逃げようとするトキヤを部屋の角へと追い込んだ。
更に、彼の右手首を掴んだまま壁に腕を突く事で動きを封じる。
「音也っ!」
牽制するように音也の名を呼ぶトキヤの顔を覗きこんだ。
彼はやはり目を合わせようとしない。
音也はそれでも彼を見つめる。
「トキヤ、どうして俺から逃げるの?」
「逃げてなんかいません!」
音也の問いかけにトキヤは早口で返す。
それは彼が焦った時や本心を突かれた時に出る癖だと言う事を音也は知っている。
最近のトキヤはなるべく音也と一緒にいようとせず、また音也が話しかけても以前にも増して冷たい態度を取る。
そのくせ、音也がこうやって彼に触れれば顔を赤くして何かに耐えるような顔をする。
絡まない視線を強引に絡ませれば、その目には怒りや拒絶は全く見えず、別のものしかない。
音也が困っていれば、結局は助けてくれる。
もしかすれば、音也の自意識過剰かもしれない、思い込みかもしれない。
強い願望と欲望に捉われて、そんな風に見えているだけかもしれない。
そう思ってみても、トキヤが自分を好きでいてくれているようにしか思えなかった。
なら、どうしてトキヤは音也を避けるのか。
その疑問の答えは音也も知っている。
「トキヤって真面目だよね。現実的で、何が良くて悪いかってちゃんと分かってる」
「……何の話ですか」
一向に目を合わせないトキヤは小さな声で言った。
「面倒事とか問題も起こしたくないし、起こした事もないんじゃない? トキヤって事なかれ主義だしさ」
音也がまくし立てるように言うと、顔を背けたままでトキヤが目を向けた。
話の流れが読めずに狼狽しているようだ。
それでも構わずに話を続ける。
「『こうしなさい』って上から言われて、それが間違ってたら『嫌です』って言うんだろうけど、それに納得しちゃったら『はい、分かりました』って頷いて、反抗なんかしないんでしょ」
「……音、也」
音也の言いたい事を察したらしいトキヤが再びもがいて逃れようとするのを押さえこむ。
ここで逃してしまえば、きっとトキヤは卒業まで逃げきってしまう。
そう思い、音也はどうしても逃したくなかった。
音也自身も、もう黙ってなどいられない。
「『恋愛禁止令』を破ろうなんて思えないんだよね、トキヤは」
「音也!」
話を遮ろうと彼が声を上げる。
「でも、俺はあんなのどうだっていい。退学になりたい訳じゃないけど、『校則で禁止されてるから』って簡単に諦められない」
それでも話を止めない音也に、トキヤが唇を噛んで俯く。
「俺の片思いなら諦められたかもしれない。気持ちをちゃんと隠す事だってできたかも。だけど、だけどさ」
音也と向かい合ってくれないトキヤに焦れて、左手で彼の顔を押し上げてこちらを向かせた。
長い前髪の合間から怯えたような目が音也を見る。
唇は強く噛まれたままだ。
トキヤにそんな顔をさせたい訳ではない。
ただ笑ってほしいだけだ。
それなのに、どうして上手くいかないんだろう。
「トキヤも……、トキヤだって、俺の事好きなんだよね? 俺はトキヤの事大好きだよ。それはずっと前から知ってたよね。自分が俺の事どう思ってるかは、最近気づいたみたいだね」
「……」
音也の言葉を否定しないトキヤを見て、ようやく彼の気持ちを確信する。
演技力の高さを駆使する事もできないほど、早口で否定する事もできないほど、音也の事を好きでいてくれている。
「どうして俺もトキヤも、お互いを好きなのに、それを伝えあったらダメなんだよ」
そんな事を勝手に決めた早乙女には腹が立つし、それに従おうと黙り込んでいるトキヤには悲しくなる。
ふたりの気持ちは音也にはどうしても分からない。
好きなら好きでいいのに。
人に駄目だと言われて止められる恋なんて、そんなの本当の恋じゃない。
ふたりが相手を想いあうことで幸せになるなんて、いい事じゃんか。
どうしてダメなんだ。
どうしてそれに従っちゃうんだよ。
「私は、あなたの事なんてっ……」
「なに?」
音也がトキヤの言葉を促すと、彼は辛そうな表情をして口を閉ざす。
そんな彼に音也は微笑みかけた。
「トキヤ、好きだよ。すっごく好き。大好き。世界で一番大好き。本当に好きだよ」
トキヤの目をまっすぐに見つめて、心の内をありのままに伝えれば、目の前のそれは潤んでしまう。
傷ついたような恨めしそうな目から涙が零れる前に、音也はそっとトキヤの唇にキスをした。
ほんの一瞬だけ触れ合わせた後にもう一度目を見れば大きく見開かれていた。
目尻から涙が滑り落ちる。
「素っ気ないけど優しいとこも、素直じゃないとこも、頑張り屋なとこも、全部好き」
音也がトキヤを抱き寄せた。
「……音也、誰かに見られたら」
掠れた声の訴えに対して、音也はスイッチに手を伸ばして部屋の明かりを消す。
そうして生まれた暗闇の中で強くトキヤを抱きしめた。
「これでいい?」
トキヤは何も答えないし、音也の腕から逃れようともしない。
そんな彼の肩に額を預けて音也は必死に気持ちを伝える。
「勉強ができて、歌も演技もすっごく上手いとこも本当に尊敬してるよ。俺、トキヤが大好きなんだ」
「……もういいです」
ずっと下ろされたままだったトキヤの腕が音也を押し返そうとする。
少しだけ距離を開けると、彼が頭を振るのが気配で分かった。
「それ以上は言わないでください」
震えた声が静かな部屋に響く。
「嫌だよ。俺はトキヤが」
言葉の途中で、トキヤの額が音也の肩に押し付けられた。
「音也、知っているんでしょう? 私の思いも、悩みも、全部」
「……うん」
シャツの肩の部分が濡れるのを感じながら音也は小さく頷く。
声と同じように震える背中を撫でてさする。
「だったら、どうして言うんですか。言わなくたってよかったでしょう。知ってるなら、それだけで」
「俺、欲張りだからさ。トキヤの言葉で確かめたかったんだ」
きっとそうだ、だけでは終わらせたくなかった。
『そうです』とトキヤに言って欲しい。
「……あなたが望む言葉を言う事はできません」
それなのに、トキヤは言ってくれない。
「嘘でも『嫌い』って言えないくらいに、俺の事好きなくせに」
「……私はあなたを退学にしたくはありません。粗削りでも人を魅了する歌をずっと歌っていてほしいと、たくさんの人に聴いてほしいと願っているんです」
恋愛禁止令に抵触して退学になれば、その道は塞がる。
だから好きだとは言えない。
トキヤが音也の事を思って、言葉をくれないのも分かってはいる。
分かってはいても、どうしても欲しくてたまらない。
「俺だって、トキヤの歌好きだよ」
トキヤが頷くと、その柔らかい髪が音也の首筋をくすぐった。
「音也」
彼が縋るように音也の肩を掴む。
普段とは全く違うトキヤの頼りない仕草に心が痛む。
こうさせているのは自分だという事が痛いくらいに分かっていた。
どれだけねだっても確かな言葉をくれないトキヤに音也が焦れているように、音也がねだるものを与えられない事にトキヤも苦しんでいる。
「どうか分かってください。それに、私も分かっています。……私だって、本当はっ……」
音也は彼の名前を優しく呼び、頬に手を当てて上向かせる。
手探りで涙を拭い、もう一度キスをした。
唇がトキヤの涙で濡れて、音也も泣きたくなる。
「大好きなんだ、トキヤ」
「もう……いいって言ってるでしょう……」
ただトキヤに笑って『はい』って言ってほしかったのに、どうしてこうなるんだろう。
そう思いながら、音也はまたキスをする。
夢にまで見ていたトキヤとのキスは、夢とは違って涙の味しかしなかった。




タイトルはBrand New Melodyより