妖精さんが来た!
「じゃあな、一十木。明日からよろしく頼む」
「一緒にアイドルになりましょうね、音也君」
真斗と那月が音也に背を向け、廊下を歩いて行く。
その姿を羨望混じりに見送ってから、ドアを開けて自室へと入った。
そして音也は広い部屋を見渡して、胸の中の憂鬱を追い払おうと深く息を吐いた。
しかし気分は晴れずに、肩を落としてベッドに座りこむ。
自分が立てる物音以外には何も聞こえない。
他の部屋ならばきっとこんな事は無いのだろうと思うとまた息が漏れる。
憧れていた早乙女学園の入学式を終えたばかりの夜だというのに、こんなに落ち込んでいるのには理由があった。
早乙女学園は全寮制で、寮の部屋は二人部屋になっている。
それなのに、この部屋には他に誰もいない。
音也だけの部屋になっている。
理由は、男子の合格者がひとり入学を辞退したからだそうだ。
そのせいで偶数が奇数になり、偶然にも音也が唯一の一人部屋になってしまった。
施設で長年を過ごしてきた為に大部屋には慣れているし、騒がしい方が好きで、静かなのが苦手な音也にとって、この状況は喜べないものだった。
他の者から散々「羨ましい」や「代わってくれよ」と言われたが、代わってほしいのは音也だって同じだ。
このひとりの部屋から出ていけるなら、どんな相手が相部屋だろうと喜んでそちらへ行く。
ベッドに横たわり、天井を見つめる。
これから一年、寂しい生活だ。
憂鬱な思いから目を背けるように瞼を閉じる。
「おはやっほー!」
「えっ、何っ!?」
突然耳元で大声が響き、音也は反射的に瞼を開けて体を起こした。
携帯が鳴ったのかと思ったが、そんな着信音には設定していない。
では、誰かが来たのかと言えば、人の姿は無い。
「――……君、誰?」
音也が掠れた声で、今の声の主らしきものに尋ねる。
開いた口が塞がらないという言葉の意味を思い知った。
「ボクはHAYATO!」
「そ、そっか」
「君は一十木音也くんだよね?」
音也は頷く。
HAYATOは輝くような笑顔を浮かべて、音也の右手の指先を小さな両手で握った。
すべすべとしたそれは暖かくて、動揺する心を和らげるようだった。
「よろしくね、音也くん」
また頷けば、何がおかしいのか声を上げて笑う。
「あのさ、えーと、……HAYATO?」
「何かにゃ?」
「HAYATOは……、その、なに?」
「なにってなーに?」
首を傾げたHAYATOの綺麗な瞳が音也を見つめる。
彼の長い睫毛が瞬きを二度して、納得した顔になった。
「あっ、そうそう。ボク達はね、なんとっ! 妖精なんだよっ! ビックリだね〜」
「……そっかぁ、妖精かぁ」
いつの間に寝ちゃったんだろう。
妖精が出てくるなんて面白い夢だな。
目の前にいるのが妖精なら、500mlのペットボトルの大きさと同じぐらいの人間が自分のあぐらをかいた膝の上に立っていたっておかしくない。
握手をしたつもりなのだろうが、手が小さいせいで音也の指先しか握れていなくても不思議ではない。
HAYATOはサイズがぴったりの早乙女学園の男子用制服を着ていた。
深い藍色の髪は毛先がぴょんぴょんと跳ねている。
「ねえねえ、音也くん」
少し甘えを含んだような声は高めで綺麗だ。
一緒に歌えば、きっと楽しい気分になれるだろう。
「どうしたの?」
腕を組んだHAYATOは唇を尖らせ、上目がちな視線を向ける。
「信じてないんでしょ? 夢だって思ってるよね?」
「うん、そうだよ」
音也が答えた瞬間、HAYATOの背中に透明な羽が生えて、宙に浮かび上がる。
そして音也の顔の高さまで飛び上がった彼は蚊でも潰すかのように音也の鼻を叩いた。
「いったぁー! 痛いよHAYATO……」
「だって、夢じゃないんだもん」
痛みと言葉を理解して、音也は鼻をさするのを止めた。
目の前にいるHAYATOを食い入るように見つめる。
夢じゃない?
妖精が本当にいる?
まさか、そんな事ある訳ないよ。
音也が必死に否定しても、鼻は今もひりひりと痛んでいる。
今度は自分の手の甲をつねっても、やはり痛みを感じた。
部屋の温度も感じるし、少し空腹も感じている。
信じられないが、どうやら現実のようだ。
「あのね、ボク達はミューズの妖精なんだ」
「みゅーず?」
「そう、音楽の女神様の名前だよ」
「物知りだね」
「あなたの勉強が足りないだけでは? これくらい当然の知識ですよ」
「えっ?」
突然、背後から声がして、振り向いたそこにもHAYATOが浮かんでいた。
だけど、ミューズの話をしていたHAYATOは膝の上に座っている。
「あ、トキヤやっと出て来たぁ」
「ときや?」
「そう、そっちはトキヤって言うんだ」
膝の上にいるのがHAYATOで、背後にいるのがトキヤというらしい。
トキヤは姿形も顔の作りもHAYATOと同じだが、よく見れば髪の跳ね方が大人しい。
「……君も妖精なの?」
「私が人間に見えるんですか? こんな大きさの人間が飛んでいるのが、あなたの中では普通なんですか?」
「いや、まあ、確認というかさ……」
HAYATOよりきつい物言いに少しうろたえてしまう。
そんな音也を気に掛けることなくトキヤはつんとそっぽを向いて、音也の肩を超えてHAYATOの横へ降り立つ。
「それで続きなんだけど、ボク達は早乙女学園が創立された時からここにいるんだ」
じゃあ、見た目に寄らず結構年取ってるんだね。
音也がそう言おうと口を開くと、トキヤが「私たちは年を取りませんからね」と先手を打った。
「それでね、毎年誰かひとりの元にボク達が現れて、一年を一緒に過ごすんだっ。あ、音也くんと早乙女さん以外の他の子には僕達は見えないから、音也くんだけ一人部屋なんだよ」
「私達の存在を口外してもらっても構いませんが、どうせ信じてもらえませんよ」
「そうだったんだ……。皆に自慢しようと思ったのに」
「自慢? あなたの前に私達が現れた事は、決して自慢できることではありませんね」
トキヤが嘲笑した。
「どうして? 妖精と友達なんてめちゃくちゃ自慢になるじゃん。那月なんて特に羨ましがるだろうな」
「私たちが現れるには、ただ一つの条件があります」
「それって何?」
HAYATOとトキヤが顔を見合わせ、HAYATOは苦笑いを、トキヤは冷めた眼差しを音也に向けた。
同じ顔でもこうも態度が違うと、異なった顔のように見えてくる。
「合格者の中で、最も『問題がありそうな人』だからです。それでもいいならどうぞ自慢して、笑われてください」
「えっ、何それ!! ひどい!!」
あまりの言葉に驚いた音也が体を揺らせばふたりも揺れて、転げ落ちる前に飛び上がった。
そっと肩の高さに両手を差し出せば、HAYATOが「ありがとっ」と左の手のひらに立つ。
驚くほどに軽い体重だ。
トキヤは数秒逡巡した様子を見せた後に、小さく会釈をしてから右手に降りる。
「ええとね、もちろん合格したからにはアイドルになれる見込みがあるんだよ?」
「受験の時、レコーディングテストをしたでしょう。あなたの歌を聞きましたが、正直言って、全くもってなっていません」
HAYATOがフォローした直後にトキヤは冷たく突き放す。
ふたりの口調は全く違うものだが、性格も正反対だという事が分かってきた。
HAYATOは優しくて、トキヤは厳しい。
まるで飴と鞭だ。
「もう、トキヤってば。音也くんの歌、ボクは好きだよ。聞いていて心が暖かくなるんだ。……確かに技術はまだまだなんだけど。だから、そんなに落ち込まないで。これから一緒に頑張ろ? ボク達、その為にここにいるんだよ」
HAYATOは優しく諭すような笑顔を。
「ええ、ミューズが私たちをこの学園へ遣わしたのは、あなたのような人を、卒業オーディションで優勝は出来なくとも、合格ラインまで育て上げる為です。駄目であればあるほど、遣り甲斐のある使命ですよ。今年はここ数年で最も大変そうですね」
トキヤは挑むような頬笑みを。
それぞれ左右から向けられる。
ふたりを見つめて、音也は肝心な事を尋ねた。
「……ねえ、もしかして、この部屋に俺と一緒に住んでくれたりするの?」
「うん、そうだよっ。一年間よろしくねっ」
「そうでなければ、私たちのいる意味が無いでしょう?」
「やった! ありがとう、俺、頑張るよっ!」
予想外で、だけど想像以上に素晴らしい同居人ふたりを引き寄せて音也は頬ずりをする。
今となっては、ついさっきまであんなに落ち込んでいた事の方が夢のようだ。
「もぉ、音也くんってばくすぐったいにゃあ」
「なっ……この馬鹿っ、放しなさい!!」
抱き返して頬を擦り寄せるHAYATOと、もがいて暴れるトキヤ。
今日からの一年間の生活はきっととても楽しいものになる。
性格の違うふたりの妖精に音也は笑いかけた。
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