100点のスマイル




 夜の11時を過ぎた頃、HAYATOの仕事を終えたトキヤが寮へと帰ってきた。早朝から一日中ずっと演じ続けていたHAYATOからようやく解放されて、はあとため息を吐いた。明日は土曜で、その上HAYATOの仕事は夕方からだ。今夜はゆっくり入浴して疲れを癒す事にしよう。そう決めながら、部屋のドアを開けて中に入る。するとベッドに寝転んでいた音也が慌てた様子でトキヤの前まで走ってきた。
「ただいま帰りました……何ですか?」
 何か用事でもあるのかと彼を見る。音也はまるでいたずらを企む子どものように微笑んで口を開いた。
「『おーはやっほー! おかえりやっほー! 全国一千万のトキヤくんは元気かにゃー!?』」
 唐突にそう叫んだ彼は人差し指と中指を立てて斜めに構えるHAYATOのポーズを決めた。わくわくとした色を目に浮かべて、トキヤの反応を伺っている。数秒そんな彼と無言で見つめ合った後に、トキヤは持っていたバッグを大きく振りかぶって音也の脇腹を殴りつけた。
「痛っ! ……っと、『痛いにゃー!』」
 バカげた口調で叫ぶ彼に神経を逆なでされたのでもう一度殴ろうとしたが、音也は後ろに下がってそれを避けた。
「危ないって!」
「殴られたいんですか」
「もう殴ったくせに……」
 脇腹を両手で擦りながら非難の声を上げる音也に冷めた視線を送る。頭が痛い。トキヤはせっかくの気分が台無しだと苛立った。しかも、よく見れば音也はトキヤの深紫色のジャケットを勝手に羽織っている。
「いきなり何の真似ですか。勝手に人の服まで着て。そんなに私に殴られたかったんですか?」
「違うって! 月曜日に授業で物まねのテストがあるんだ。それで、何の物まねするかをくじで決めたんだけど」
 音也がジャケットを脱いで返しながら言う。体温がしっかりと残ったそれを受け取ったトキヤは眉を寄せた。
「もしかして、HAYATOのくじを引いたんですか?」
「そうそう!」
「どうしてあなたがそれを引き当てるんですか」
 ジャケットをハンガーに掛けながら嘆くが、音也は対照的に楽しそうにしている。
「うーん、俺ってくじ運いいのかも。それで、双子の弟のトキヤから見て、俺のHAYATOはどうだった?」
「……とりあえず、おはやっほーニュースの決まり文句を言ってみてください」
 ベッドに腰掛けて、腕と脚を組んだ。
「よーし、……『おーはやっほー! 全国一千万のファンは元気かにゃー!?』」
「全然なっていません! 第一にセリフが違います。正しくは『おはやっほ〜! 全国一千万のHAYATOファンのみんなぁ、元気かにゃぁ?』です」
「えー、大体一緒じゃん。トキヤって本当に細かいなー」
 面倒くさそうにする音也の向こうずねを容赦なく蹴り飛ばす。「痛っ!」という叫び声は無視した。
「いいから復唱しなさい!」
「はあ、……『おはやっほー。全国一千万のHAYATOファンの皆、元気かにゃー?』 ……ねえねえ、何でHAYATOって『にゃー』って言うの? 可愛いアピール?」
「そ、それは……知りませんよ!」
 オーディションの時に『元気かな?』を噛んでしまったのがきっかけだなんて話せば、音也はきっと腹を抱えて爆笑するだろう。トキヤは首を振った。
「とにかく、二つ目は声が変わっていません。声量を大きくしただけじゃないですか。それではただ音也が『おはやっほ〜』と言っているにしかすぎません」
「うーん……難しいなぁ。じゃあさ、トキヤがHAYATOのお手本やってよ!」
「お断りします」
 即座に返すと、彼は肩を落とした。不満そうに唇を尖らせる。
「ちぇっ、残念。トキヤならそっくりなお手本見せてくれると思ったのになー」
「知りません。ひとりでテレビのHAYATOでも見ながら練習してください」
「はいはい、そうしまーす。この前のバラエティーでも見てみよーっと」
 音也がテレビを付けるのを一瞥し、トキヤはようやく風呂場へ向かった。
 そして小一時間程入浴を終えて、多少はマシになっただろうかと思いながら部屋に戻る。すろと音也が振り返ってテレビを消した。
「あっ、トキヤトキヤ、俺の練習の成果見てよ!」
「……一回だけですよ」
 音也が頷き、息を吸い込む。
「『おっはやっほー! 全国一千万のHAYATOファンの皆! 元気かにゃっ!?』」
「一時間練習してそれですか! HAYATOをよく観察しましたか? 何度も言葉を聞きましたか? 『おっはやっほー!』ではありません、『おはやっほ〜』です」
「『おはやっほー?』」
「違います、『おはやっほ〜! 全国一千万のHAYATOファンのみんなぁ、元気かにゃぁ?』です。その後は『今日もここ、第二スタジオから元気をお届けっ!』……、ロケに行けばもちろん場所の名前も変わりますが、基本は第二スタジオです」
「うわー! トキヤすごい! 今のHAYATOに超そっくりだったよ! さっすがトキヤだなぁ。歌だけじゃなくて、HAYATOの真似も上手なんだね。ねえ、もう一回だけやってよ」
 音也が赤い目を煌めかせて両手を顔の前で合わせた。
「いいでしょう。その代わり、しっかりと発音や声のトーンを注意して聞くんですよ」
「うんうん!」
「『おはやっほ〜! 全国一千万のHAYATOファンのみんなぁ、元気かにゃぁ? 今日もここ、第二スタジオから元気をお届けっ!』」
「おおー! 今すごくおはやっほーニュースを見てる気分だよ!」
「さあ、言ってみてください」
「よーし。『おはやっほぅ! 全国、一千万のHAYATOファンのみんにゃ、元気かな? 今日もここー、第二スタジオから元気をお届け!』」
 そう言い、音也は今度こそどうだと言わんばかりの表情をしたが、トキヤは眉を寄せた。
「……本当にちゃんと聞いていたんですか?」
「聞いてたって! どっか駄目だった?」
「出だしから違います。HAYATOの物まねをするのなら、『おはやっほ〜』を完璧に真似るのが最低ラインです。あなたの今の言い方は『おはやっほぅ』で、正しくは『おはやっほ〜』です」
「…………何? 何が違うの?」
 音也が理解できないと顔に大きく書いたが、違いが分からない彼の方がトキヤにとって理解できない。
「ですから、『やっほぅ』ではなく『やっほ〜』なんです」
「うーん……。違いが微妙過ぎてよく分かんないや」
「些細な特徴を掴めばより本人らしくなるんですから、そこが大切なんですよ」
「なるほどー。じゃあ、もう一回その部分だけ言ってみてよ」
「分かりました、『おはやっほ〜!』……どうですか、よく聞けば発音に違いがあるのが分かるでしょう。あなたの発音は下に下がっていっていますが、正しくは上に上げていくんです」
「……。もう12時過ぎたし、今日は寝よっかな」
「音也!」
「おやすみやっほー。トキヤも早く寝ないとお肌に悪いにゃ?」
 トキヤが引き止める言葉に詰まった隙に、音也はさっさとベッドに潜り込んだ。その場に取り残されたトキヤも自分の頬を撫でてから、ベッドの中へと入った。
 音也の出来の悪い真似を見ていられずについ何度もHAYATOの演技をしてしまったが、HAYATOがトキヤであるという事を気付かれていないだろうか。朝になったら、一応釘を刺しておいた方がいいですね……。そう思いながら、瞼を閉じた。


 翌朝、8時に音也を無理やりに叩き起こして朝食を共に取ってから、再びHAYATOの物まねの練習を始めた。
「――ですから! あなたは腕の角度が高すぎます! 指先が肩を超えているじゃないですか。丁度肩の辺りでいいんです。何度も言わせないでください」
「ここら辺?」
「……高さはそれでいいですが、今度は横にずれすぎていますね」
「もー! 先生だって絶対そこまで見ないから!」
 彼は疲れ果てた口調で言って、ため息を吐いてから小さく笑った。
「トキヤってHAYATOの事をいつもあれだけ冷たく言ってるのに、本当はよく見てるんだね」
「そ、それはやはり、双子の弟、ですから。……兄の事を把握していても不思議ではないでしょう」
「それもそっかー。何だかんだ言って、HAYATOの事ちゃんと好きなんだね。ちょっと安心した」
 音也は嬉しそうにしながらトキヤの肩を抱いて見つめる。至近距離から暖かな眼差しを向けられたトキヤは口ごもった。
「別に、そう言う訳では……」
「『トキヤくん照れなくっていいにゃー。でも、そこが可愛くて好きにゃん』」
「ああもう! 声が甘ったるすぎます! 後、にゃーにゃー言えばいいというものではありません!」
 肩に擦り寄ってくる音也を引き剥がしつつも、物まねへの指導を続ける。
「本当? じゃあHAYATOならどんな風に言うかな?」
「そうですね……、彼なら」
 こう言うだろうと考えて開口した瞬間、音也が手を叩いた。
「そうだ! まだあの衣装ある? ほら、寮に初めて来た日に見せてくれたHAYATOの衣装! あれを着てその言葉言ってみてよ!」
 見せたというよりは見られたの間違いですが、内心で思いつつ、音也を睨んだ。
「どうしてそこまでしなければいけないんですか?」
「ほら、形から入るのも大事だしさ。ね、お願い! アイドルだって歌と踊りだけじゃなくて、物まねがひとつぐらい出来ないと駄目だよね。だから、HAYATOの真似がちゃんとできるようになりたいんだ! でも、それにはどうしてもトキヤの助けが必要なんだよ……」
「……そこまで言うのなら仕方ないですね」
 音也の熱意を無下にはできずトキヤは頷いた。そして、クローゼットから取り出したスパンコールで飾られたHAYATOの衣装に着替えた。毛先も少し跳ねさせる。
「これでどうですか?」
「うわっ、HAYATOだ! サインして、握手して!」
「馬鹿な事言わないでください」
 音也が差し出した手を軽く払うと、彼はにやついた。
「あれー? HAYATOってそんなのだっけ?」
「ち、違うよぉ! ほら、握手握手っ。……これでもう手を洗っちゃダメだぞ!」
「うん、洗わなーい。ねえねえ、それよりさっき俺が言った奴言ってみてよ。でも、トキヤじゃなくて俺に対して言って!」
 両手で握った彼の右手がぎゅっと握り返してくる。
「いいよー。その代わり、ちゃーんと聞いて、ボクがどんな風に言ったか覚えてよ! ……もー、音也くんってば照れなくっていいのにぃ。でもでも、そこが可愛くって、ボクは音也くんがだーいすきっ」
 小首を傾げて微笑み掛ければ、音也は口をポカンと開けて動かなくなった。その反応を見てトキヤは我に返り、音也の手を離した。更に髪を手櫛で整えて、衣装のジャケットを脱ぎながら取り繕う。
「……どうですか、HAYATOならきっとこんな風にすると思いますよ。ここに入学するまでは一緒に暮らしていたんですから、私には分かります」
「へー、双子って相手がどんな事言うかって分かっちゃうんだー。凄いな、羨ましいや」
「まあ、そうですね」
「それにやっぱり表情も似るんだね。今のトキヤの笑った顔、HAYATOみたいだったよ。ん? HAYATOがトキヤみたいに笑うのかな? どっちでもいいけど超可愛かった!」
「そ、それよりも今のをちゃんと参考にして練習しなさい!」
「もう、トキヤくんってば照れなくっていいのにー! でもでも、そこが可愛くてだーいすき!」
 音也が抱きついてきてトキヤの頬をつつく。
「やはり、あまり似ませんね……。というか離れなさい」
「トキヤがHAYATOの真似上手なら、HAYATOもトキヤの真似が上手だったりするの?」
「知りませんよ。それより、早く練習しなさいと言っているんです!」
「分かったにゃー!」
「だから全く似ていません!!」


 結局トキヤは休日の空き時間のほとんどを費やして音也にHAYATOの物まねの練習をさせた。しかし、結局進歩しないまま月曜の朝を迎えてしまった。登校する前に、音也にもう一度物まねをさせたものの、変わらず不安の残る出来だった。トキヤはこの二日間を振り返り嘆息する。
「最後までこの出来ですか……」
「うーん、本番で頑張ってくるよ」
「練習で上手くいかないのに、本番では上手く行くというのは甘い考えだと思いますが」
「だーいじょうぶだって。俺って結構本番に強いタイプだからさー」
「……ならいいんですけどね」
 テストを終えた音也が泣きついてこない事を祈りながら、トキヤはその日の授業を受けた。
  
 放課後になって、音也はどうなったのかと落ち着かない気分で部屋に帰ると、彼は鼻歌を歌いながら漫画を読んでいた。
「あ、お帰りー」
 上手く行かなかったと泣きついてくる様子は無い。少しは上手くやれたのかと思い、彼の側に近寄る。
「テストはどうだったんですか」
「え、満点だよ。満点おはやっほー」
 事もなげに言った彼の言葉が理解できず、「……はい?」と声を上げてしまう。口角を上げた音也がピースをした。
「つまり100点! リンちゃんに超誉められちゃったー」
「でも、あなた……あのレベルの物まねで?」
「ふふん……。『おはやっほ〜! 全国一千万のHAYATOファンのみんなぁ、元気かにゃぁ? 今日もここ、第二スタジオから元気をお届けっ!』」
 そう言ってポーズを決めた音也を、トキヤは信じられない思いで見つめた。
 以前から、音也の事をHAYATOを具現化させたような奴だと思っていたが、今まさにHAYATOが目の前に現れた様に見えた。声も発音もポーズも笑顔も、何もかもがHAYATOそのものだった。
「音、也?」
 今朝とは大違いな精度のHAYATOの物まねを見せた音也は更に続ける。
「『今日のテーマはトキヤ! トキヤはね、朝早くから夜遅くまでみんなの笑顔の為にいつも頑張ってるんだよ。みんな、今日のおはやっほーニュースは見てくれたかにゃ? 今度から始まる映画は見逃しちゃダメだぞ!』」
「な、何を言って……」
「生のHAYATOがたっくさん見られてよかったなー。俺のくじ運に感謝だよ。こんな事でも無かったらきっとトキヤは俺の前でやってくれなかっただろうし」
 音也がトキヤを見つめて、太陽のような笑顔を浮かべた。
「またHAYATOの"物まね"……じゃなかった。"演技"、やってみせてね。トキヤ」