NGの後
「いらっしゃーい! ねーねー、ゲームしよ!」
仕事が終わって帰宅したHAYATOは、入浴や明日の準備を済ませて、23時前に音也の部屋へと行った。
インターホンを鳴らしてドアが開いたかと思うと、音也がそう言ったのだった。
彼の唐突さに小さく笑いながらドアを閉める。
「おじゃましまーっす。新しいゲームでも買ったのかにゃ?」
「そうそう、これ昨日発売されたんだけどさあー」
靴を脱ごうとしたHAYATOの背に音也が抱きついて、携帯ゲーム機を見せてくる。
「んー? 前言ってたやつ?」
画面を覗き込もうとそちらに顔を向けると、頬に音也の唇が触れた。
離れたかと思えば、ほんの少し場所を開けてもう一度触れる。
彼はHAYATOの頬のいたる所だけでは足らずに、鼻先や耳、髪を掻き上げてこめかみと額にも音を立ててキスをした。
飼い犬から猛烈に帰宅を歓迎されている気分になってHAYATOがくすくす笑う。
「音也くんって、ほんとにわんちゃんみたいだよね」
「そうかなぁ。でもさ、そうだとしても、HAYATOって猫派じゃないの?」
拗ねた顔をした音也を見て、HAYATOは笑って首を傾げてみせた。
「そーだけど、最近はわんちゃんも好きなんだよ」
「へえ。じゃあ、どんな犬がいいの? 俺はね……うーん、何でも好きっ」
「ええっとね、毛並みが赤くてー、おめめも赤くてー、歌うのとゲームが好きなわんちゃんがいいなぁ。それでちょっと大きめの」
HAYATOの言葉が示すものに気づいた音也が嬉しそうに笑う。
抱き締める腕に力が込められた。
「それで恋人の事が大好きなやつね」
「そうそう」
ふたりは額を重ねて、くすくすと微笑み合ってキスをした。
「……HAYATOってゲームへたー」
リビングのソファーに腰掛けている音也が苦笑いをした。
「う、うるさいなあ!」
HAYATOは彼の足の間に座りながらゲーム機のボタンを操作する。
音也から渡されたのはアクションRPGで、今は序盤のボス戦のようだ。
後ろから回された音也の両手が時々腹部を撫でてくるのにも構ってられない程必死にキャラクターを動かすが、上手くいかない。
攻撃は空振りが多く、相手の攻撃を喰らってばかりだ。
「だからさあ、そうじゃなくって先に回復……」
「だーいじょうぶだって! あっ、だめ、ふにゃっ!」
音也のアドバイスを聞かずにモンスターを攻撃しようとしたが、敢え無く反撃されてゲームオーバーとなった。
「……後もうちょっとだったのににゃあ」
嘆息しながら体の力を抜いて音也に体重を預ける。
すると、HAYATOの髪を撫でながらも、彼が
「いや、全然だったし」
と突っ込みを入れた。
「今度こそうまくやるよっ」
「どうかにゃあ……。あ、そうだ」
HAYATOの口調を真似した音也に軽く腹部を叩かれた。
「また負けたら、HAYATOからキスして!」
「や、やだよ!」
突然の発案にHAYATOは体を起こして、大きく首を振った。
思い返せば何度か自分からキスをした事はあるが、改めてするにはあまりにも恥ずかしい。
「なんで? 本当に次こそうまくやれるんなら、しなくていいんだよ?」
「……」
HAYATOは振り返り、眉を寄せて音也を見つめる。
それでも構わずに彼は笑って、HAYATOの背にくっついた。
「それで、もし倒せたら俺からキスしてあげるっ」
「別にそんなのいらないんだけど……」
「嘘ばっか」
少し熱い頬に音也の鼻先が擦りつけられて、首をすくめた。
「ほら、リトライリトラーイ!」
音也が勝手にボタンを押して、真っ暗な画面から直前にセーブしていた場所に戻った。
「俺としてはどっちでもいいかなー。あ、でもやっぱりHAYATOからの方がいいなあ」
HAYATOは肩に載せられた音也の顎と腹部を撫でまわす手に気を取られながら、渋々とキャラクターを動かし出した。
耳元から聞こえてくる音也の「負けてもいいよ」と楽しげな声にも返事をせずに倒すべきボスの所へと向かう。
「そーいえばさぁ、今日の収録の時にすっげーおいしいケーキ食べてさー」
「ちょっと、うるさいよっ」
「ショートケーキだったんだけど、でっかいイチゴが乗ってて、クリームも」
「うるさいってば!」
耳元で喋りつづける音也のみぞおちにHAYATOが肘を打ちつけた。
「いてっ! ……しょうがないなあ、HAYATOが俺からキスしてほしいみたいだからもう黙りまーす」
「そうじゃないけど!」
ただ自分から音也にキスをしたくないだけだ。
そう言うのも恥ずかしくて何も言えずに、もう3回負けているモンスターに再び挑む。
すると、今回はうまく進み、相手の体力を着実に削っていった。
音也も大人しくHAYATOの肩越しに画面を見つめている。
そうして、時間を掛けて後もう少しで勝利する所まできた。
「ほらっ、ほらほら見て!」
「あ、やば」
勝利を確信したHAYATOが振り向いて音也に画面を示すと、音也は目を丸くした。
気づけば、もう何度も聞いた瀕死状態を注意する音が聞こえてくる。
「えっ、あ! ちょ、ちょっと待っ……」
慌てたHAYATOがキャラクターを回復しようとしたが、一足遅く、相手の攻撃を喰らってしまった。
画面が真っ暗に切り替わり、『GAME OVER』という文字が浮かんでいる。
「……あー、もうちょっとだったのにぃ」
無情に並ぶその文字を肩を落として見つめていると、音也が顔を寄せてきた。
「ザンネンでした」
同情の言葉とは裏腹に彼は嬉しそうに言った。
何がそんなに嬉しいのかと不思議に思った。
音也を見た瞬間に彼の言葉を思い出して、「あっ」と声を上げた。
ニヤニヤとした笑みが向けられる。
「俺はいつでもいいからね」
笑いを堪えようともしない彼が目を閉じた。
数秒間何もできずにいると、急かすように顔が近づいてくる。
HAYATOがキスをしなければ、いつまでもこの状態が続きそうだ。
音也のペースに巻き込まれてしまえば、もうどうにもならないのはよく分かっている。
そっと息を吐いて、唇を音也の頬に押し付けた。
目の前の大きな目が見開かれて、HAYATOの目と合う。
「……そっち?」
「口にとは言われてないからいーでしょ! ボクもう寝るからねっ」
早口で捲し立てたHAYATOは音也にゲーム機を押し付けて、彼の寝室へと向かう。
「あ、じゃあ俺も寝る! ……っと、その前にトイレ」
廊下の電気が点いたかと思えばリビングのものが消える。
背後でトイレのドアが開閉する音を聞きながら、HAYATOも部屋へと入った。
「……寒っ」
電灯のスイッチをオンにして呟く。
空調が利いていたリビングから来たせいか、この部屋をひどく肌寒く感じた。
早くベッドの中に入ってしまおうと思いながらも、部屋を見渡した。
全体的に散らかっていて、HAYATOはため息を吐く。
「お片付けが必要だねぇ……」
そう呟いたHAYATOは雑誌や漫画が乱雑に並べられた小さな本棚を見やる。
本棚の上にはいくつか写真立てが置かれていたが、伏せられたものがひとつある事に気づいた。
施設での写真と、愛用するギターの写真の間にある赤い写真立てだ。
HAYATOが本棚に近づいて、写真立ての裏面を見つめる。
もしかしたら偶然倒れたのかも知れないが、きっと音也が倒したのだろうと思った。
だめだよ。絶対に悲しくなるだけだよ。やめといた方がいいよ。わざわざ見ない方がいいって!
分かってはいるのに、手は止められずにそれを起こしてしまう。
やはり、飾られた写真は変わっていなかった。
写真の中では、あの部屋の赤いソファーに座った音也が笑っていて、その横には自分と同じ顔が嫌そうな表情で写っている。
だけど、内心ではそうじゃなかったのをHAYATOは知っている。
彼は照れくさくて、わざとこんな顔をしてるだけだ。
これと同じ写真を今でも大事にしている。
HAYATOが言った通りの結果になった。
ドクドクと脈打つ胸が疼いていた。
喉に何かが詰まった感覚がして息苦しい。
「――……悲しいにゃあ……」
今は心の奥底にいる自分の嘆きを呟いてしまい、後悔した。
彼の気持ちに釣られて、HAYATOの気持ちまでもがどんどん暗いものに浸食されてしまう。
廊下から物音がした後に音也の鼻歌が聞こえてきた。
位置を変えないように気をつけながらそれを元に戻し、ベッドに潜り込む。
「あれっ、もう寝ちゃった?」
頭まで毛布を被ると同時に部屋のドアが開き、音也が声を掛けてきた。
HAYATOは返事をするかどうか迷った。
今、音也と上手く喋れる自信はない。
気持ちはまだ不安定な状態だし、声をちゃんと出せるかも自信がない。
「そんなに寒い?」
ベッドが軋み、毛布をめくりあげた音也と目があった。
「起きてるじゃん」
「……寒いから、電気消して早く入ってきてよ」
HAYATOは口を尖らせて言い、枕に顔を埋める。
「あは、かしこまりました、HAYATO様」
音也が枕元のベッドランプを灯してから毛布を戻し、電気を消しに行く。
その間に、大きく深呼吸をする事で心の奥底に蓋をした。
悲しいのはボクじゃないもん。ボクには関係ないよ。
声には出さずに唇をそう動かす。
「消したよHAYATO様ぁ」
「ん、ありがと」
ファンからの呼び名を口にしながら音也が冷たい空気をまとってベッドに入る。
「音也くん冷たいよっ」
そんな音也に抱きつきながらもHAYATOは文句を言う。
彼は小さく笑い、HAYATOの頬を暖めるように撫でた。
「じゃあ暖かくなることしよ?」
「明日もお仕事早いからだーめっ」
「だよね」
甘えた声でねだる音也の鼻を手のひらで押し潰すと、明日のスケジュールを思い浮かべたらしい彼が素直に引いた。
HAYATOは時計に手を伸ばしてアラームをセットする。
「……おやすみ、HAYATO」
「うん、おやすみ」
HAYATOが言うと、音也が少しの間唇を触れ合わせた。
柔らかくもなくて丁寧に手入れもされていないのに、そこに触れるだけで嬉しくて堪らない。
音也は瞼を閉じても、手だけはHAYATOの髪をそっと撫でている。
ほら、音也くんってボクにはこんなに優しいんだよ。
自分にそう言い聞かせながら、HAYATOは眠りに就いた。
「お帰り! ねーねー、ゲームしよ!」
部屋に入ると、帰りを待ちわびていたらしい音也が白い無線のコントローラーを片手に詰め寄ってきた。
呆れて物も言えず、彼を無視して鞄を置き、上着を脱ぐ。
「もしもーし、聞いてるー? おーい、トキヤァ」
「聞こえてはいますが、相手にする気になれません」
小さな子供のように拗ねる音也をちらりとも見ずにトキヤは答える。
「これ、すっげー面白くってさぁ。でもやっぱりふたりの方が楽しいし」
「さて……今日の課題はレポートでしたね」
「トキヤってば!」
大声を出した音也がトキヤの背中に体当たりをしてきてそのまましがみつく。
「お、音也!」
トキヤが咎めても、彼は頭を肩にぐりぐりと押しつけて離れようとしない。
「ゲームしようよゲーム〜」
「分かりました! 分かったから離れてください!」
「やった!」
今すぐに解放してほしくてトキヤが要求を飲むと、音也は心底嬉しそうな顔をした。
そしてトキヤの腕を掴んでソファーへと引っ張る。
散歩に連れて行った飼い犬にリードを思い切り引っ張られながら歩いている気分だ。
「はい、これ」
音也は持っていたコントローラーをトキヤに渡して、床に転がっていたもうひとつを拾い上げる。
「……そっちがいいです」
「え? どっちも一緒じゃん。別にいいけど」
トキヤはコントローラーを交換しながら理由を話す。
「音也の体温が残っていて……」
「悪かったなぁ!」
音也が笑いながら愛用のクッションでトキヤの太ももを叩く。
「悪いとは言ってません。ただ気持ち悪かっただけですよ」
「余計悪い!」
今度は顔面だ。
「もういいよ、トキヤなんか知らなーい」
むくれる音也にコントローラーを返して立ち上がった。
「では、私は課題をするのでひとりで遊んでくださいね」
「わーっ、ウソウソ! ゲームしよっ! ねえ、トキヤ〜」
途端に慌てた音也が両手を祈るように組み、甘えた声でトキヤを呼ぶ。
「……はあ、一回だけですよ」
「うん! トキヤ大好きっ」
頷くと、両手を上げて喜んだ音也がそのまま腹に抱きついてくる。
トキヤはその赤い髪を一度そっと撫でてから、音也に見えないように微笑んだ。
そして、頭を思い切り叩いて引き剥がした。
「トキヤって本当にゲームへたー」
格闘ゲームで対戦すると、音也が見事なまでに圧勝した。
音也がにやにやと笑い、挑発するような視線を投げかけてくる。
それに心底悔しく思いながら、トキヤは反論した。
「あなたと私では経験の差があるんですから仕方ないでしょう」
学園に来るまでゲームはろくにした事がないし、今だって音也に強引に誘われた時くらいにしかゲームはしない。
トキヤが睨んでいるにもかかわらず、音也は笑みを嬉しそうなものに変えた。
「そっかあ。経験の差かあ」
「……何なんです?」
含みのある言葉にトキヤは眉をひそめた。
そんなトキヤの腕に音也が抱きついてくる。
「なら、俺ともっとゲームするしかないよ!」
その体勢と、肩に顎を乗せて笑う音也の顔をすぐ間近で見てしまったせいで跳ねた心臓を隠すようにトキヤは顔を背けた。
「嫌ですよ。そんな時間があれば練習や課題をします」
「だったら、トキヤはずっと俺に負けっぱなしだね。卒業するまで俺とゲームする度に負けて、卒業しても負けて……」
「……」
「それでもいいなら俺はいいけど」
「……週に一回程度ならいいでしょう」
「やった!」
音也が声を上げて、トキヤに抱きついてくる。
「ねっ、もっかいやろ、トキヤ!」
楽しげな声で音也が言った。
「おーい」
「……?」
「あっ、起きた。朝だよー」
瞼を開けると、カーテンから差し込む薄暗い光に音也が照らされている。
眠気に目を瞬かせながら頷き、体を起こした。
「――おはようございます、音也。珍しく早起きですね……」
シーツをぼんやりと眺めながら掠れた声で言う。
音也に起こされる事など滅多にない。
もしかして寝過ぎたのかと考え、はっと自分が何をしでかしたかに気づいた。
あまりの失態に、全身から血の気が引いたのを感じた。
手が震えている。
どうすればいいか分からないまま、恐る恐る音也の顔を伺い見る。
ベッドの横に立つ音也は見たことがない顔をしていた。
眉根を寄せて、傷ついたような、悲しむような、哀れむような、責めるような目でこちらを見つめている。
いつも大きな弧を描いているか、忙しなく動いている唇も、一文字に堅く閉じられていた。
「っ……、お、おは、やっほー……。ご、ごめんね……その、寝ぼけちゃった、にゃ……。だから、その……」
次第に小さく震える声と彼の足下へと落ちていく視線の中で、HAYATOは取り繕おうとするがうまくいかない。
今までの人生の中で最大のミスだ。
心臓が苦しくて、呼吸ができない。
そのまま心臓も呼吸も止めてしまいたかった。
死刑宣告を待つ気持ちで、音也の言葉を待つ。
音也は何と言うだろう。
もしかしたら何も言わずに出て行くかもしれない。
そして二度と自分と会おうとしないかもしれない。
時間が戻ればいいのにと祈っても、叶うはずがなかった。
「……おはよー!」
長い沈黙に目の前を真っ暗にしていると、音也が明るく言った。
「俺なんか毎朝寝ぼけてるからだいじょーぶ」
HAYATOがそっと顔を上げると、彼は小首を傾げた。
「気にしてないよ」
目を細め、唇は弧を描いていた。
先ほどとは違う優しい表情を見ても、何も言えなかった。
その顔を見つめていると、音也は「ねえ、俺お腹すいたよ」とHAYATOに抱きついてねだってきた。
相変わらず音也は料理をしようとしないので、食事を作るのはHAYATOの役割だ。
「あ、……朝ご飯作るね。……何が食べたい?」
HAYATOは髪を手で梳きながら、ベッドから抜け出した。
ひやりとした冷気が身を包む。
「えーっと、目玉焼き! ベーコンと一緒に焼いたの!」
「うん、分かった。ちょっと、待っててね」
うまく笑えているかどうかを気にしながらも、HAYATOは笑ってみせた。
「じゃ、行ってきまーす」
「うん、行ってらっしゃい」
音也からのキスを受けたHAYATOは手を振って彼の部屋を出ていく。
そして足早に自分の家へと帰り、玄関に座り込んだ。
『気にしてないよ』と彼は言った。
確かに、朝食を作っている時も食べている時も、これまでと同じように接してくれた。
『早く食べたいなー』と背後からすり寄ってきたり、『HAYATOの料理が一番好き』と美味しそうに食べてくれた。
けれど、あの瞬間の音也はどう見てもHAYATOのミスを気にしていた。
太陽のような彼があんな顔をするなんて知らなかったし、ずっと知りたくもなかった。
視線を思い出すだけで絶望した気持ちになる。
もう一度あの目を向けられれば、きっと死にたくなって、本当にそうしてしまうかもしれない。
しかし彼にあの表情をさせたのは他の誰でもない自分だ。
学生時代の夢――色々と脚色はされていたが実際にあった事を夢に見ていたせいで、HAYATOではなくトキヤして口を開いてしまった自分のせいだ。
「……これからは気をつけないとにゃあ」
二度とあんな事がないようにしなければならない。
次、同じNGを出せばきっと今度こそそこで終わりだ。
HAYATOは誓うように呟き、目を閉じる。
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