シナリオの範囲外
「おはやっほー! 全国一千万人のHAYATOファンのみんなっ、元気だったかにゃあ〜っ?」
HAYATOは花が咲いたような笑顔をカメラに向けて、大げさな仕草で大きく両手を振った。
「みんなにずーっと会えなくって、僕、とってもとっても寂しかったんだ! だから、今日一日だけ、みんなに会いに来たよっ!」
底抜けに明るく、無邪気に、子どもみたいに、難しいことは考えず、いつでも笑顔で。
とても懐かしい感覚だ。
カメラの前でこんな風に振る舞う事はもうずっとなかった。
トキヤには無いものしか持っていないHAYATOを最後に演じたのは3年以上前のことだ。
少しだけ長い時間を経て、トキヤはまた自分が持っていないものを作り上げている。
「さてさて、おはやっほーニュースもほんとに久しぶりだよねぇ。僕、ドキドキしちゃってうまくやれるか不安だにゃあ……大丈夫かにゃあー……。だからね、今日はアシスタントさんを呼んできたよっ。おーい、OTOYAくーん!」
HAYATOがセットの外へと呼び掛けると同時に音也が赤い髪を揺らして駆け込んできた。
ふたりとセットを照らす明るいライトにも負けないような眩しい笑顔を浮かべている。
彼はHAYATOにぶつかりそうになりながらも立ち止まり、手を上げる。
「はーい、OTOYAだよ! よろしくねえっ」
「と、いう訳で、HAYATOとOTOYAが今晩だけのスペシャルなおはやっほーニュースをお送りしまっす!」
HAYATO時代におはやっほーニュースでずっと世話になっていたプロデューサーから、「たった一度の特番だけでいいから、HAYATOを復活させないか」と提案されたのは何ヶ月か前の話だった。
トキヤはその提案を受けるかずっと悩んでいた。
HAYATOを演じるのが嫌いになって辞めた訳ではない。
HAYATOにもまだファンがいるのを知っている。
前事務所からも許可は下りているという。
ならば、一度くらいなら再び演じてもいいかもしれない。
けれど、トキヤが「辞める」と言ったのに簡単に復活させては意味がないのでは、と考え続けていた。
しかし、プロデューサーの根気強い説得とトキヤの中のHAYATOへの愛着に折れて、その企画を受けた。
そこから何度も打ち合わせを重ねる中で、プロデューサーはトキヤの意見を積極的に取り入れてくれた。
おはやっほーニュースを再び放送することになった時、ふと思い立ち「アシスタントを付けると、以前のものとは違って新鮮でいいかもしれませんね」とトキヤは言った。
その提案にプロデューサーはとても乗り気になり、次の打ち合わせにはアシスタント候補をひとり連れてきた。
それが音也だった。
「元々仲がいいんだから息も合うし、何にも問題ない!」
「俺、絶対絶対やりたい! HAYATOが嫌だって言っても絶対にやる!」
予期していなかった音也の登場に、トキヤはまた彼と共演できるという喜びと同時に、音也の前でHAYATOを演じることに躊躇いを感じて複雑な思いを抱いた。
音也とHAYATOではキャラが似すぎているし、本物に作り物が敵う訳がない。
けれど、プロデューサーと音也の熱意にトキヤが折れることになった。
その時で、トーク番組で音也と共演してから3ヵ月が経っていた。
更に、そこから2ヵ月経って、ようやくHAYATOの特番は収録の日を迎えた。
おはやっほーニュースの名を冠してはいるが、土曜日の夜7時からの1時間の放送だ。
内容はテーマについて語るおはやっほーニュース従来のものに加えて、HAYATOのライブとその中でOTOYAとのデュエットが行われる事になった。
「はい、じゃあOTOYAくん。まずひとつめのテーマは何かにゃー?」
「テーマはねえ、じゃじゃーん、『スマートフォン』!」
「『スマートフォン』かあー! 今は多くの人が持ってるもんね。OTOYAくんは持ってる?」
「俺は持ってないんだー。HAYATOはスマートフォンだよねっ」
「そうそう、紫色でかーわいいんだっ」
「え、可愛いか可愛くないかで決めたの?」
「それも大事なポイントだってことだよっ。じゃあ、スマートフォンのおさらいをしてみよっか。スマートフォン、略してスマホはね……」
HAYATOがフリップを出して、スマートフォンの解説を始める。
そこにOTOYAが質問をしたり、見当違いな事を言う事で、話はおかしな方向へと行きながらも、内容を深めていく。
ひとりで番組を進めていた時とは全く違うやり方だが、悪くはない。
HAYATOを演じていた頃、作り物だという劣等感を刺激してやまなかった音也が隣にいることで、却って演技にも熱が入った。
「それで、結局何がオススメの機種なの?」
「うーん……、OTOYAくんがどんな風にスマホを使いたいのかに寄るんだけど、何をメインに使いたいのっ?」
「えっと、俺はねえ……」
「ああっ!」
「いきなり何です、うるさいですよ音也」
番組の打ち合わせ中、トキヤの隣に座っていた音也が突如騒々しく立ち上がった。
迷惑そうにするトキヤの両肩を掴んだ彼は目を星のように輝かせる。
至近距離から星の瞬きに当てられた気になり、目が眩みそうになった。
音也はそんなトキヤの気も知らず、興奮した幼い子どものように笑っている。
「ねえねえ! 俺の名前もローマ字にしよっ! 『OTOYA』って!」
右手で宙にアルファベットを綴る音也の指先を見ながらトキヤは左手を押しのけた。
プロデューサーは「おおっ、それいいね! 二人の番組なのに、HAYATOと一十木音也の組み合わせじゃ変だしなあ!」と乗り気だ。
HAYATOにOTOYA。
確かにその方が統一感があっていいかもしれない。
「ねっ、そうしよっ!」
「……あなたにしてはいいことを言いますね」
またも両肩を掴んでくる音也の手を振り払い、トキヤは表情も声の調子も変えずに答えた。
トキヤの答えを聞いてさらに笑顔になった音也がご機嫌な様子で椅子に座りなおす。
機嫌が良すぎて浮かれているようにも見える音也を横目にしながら、トキヤは打ち合わせを進めた。
トーク番組での共演以降も相変わらず、音也の事を何度も考えて人知れず泣きたくなるような生活は続いていた。
音也に振られたも同然だというのに、どうしたって想いは捨てられずにいる。
3年以上も抱えてきたそれの手放し方などもうとっくに分からなくなっていた。
それに、今までは数カ月に1度しか音也と会えなかった生活をしていたのに、今は週に1度は彼と顔を合わせている。
すぐ側で笑っている音也を見れば、『そのつもりじゃない』と言われた事も頭から抜け落ちて、ただただこの時間が続けばいいと思っていた。
音也が隣で笑うだけで、トキヤは嬉しくて幸せだった。
収録を終えてしまえばこの生活も終わるのが嫌で仕方なかった。
「じゃあ、次のテーマだよっ! 次のテーマは何かにゃー?」
「次はー、でけでけでけでんっ! 『シリコンスチーマー』!」
「ドラムロールを口で言ったねえ……。それは置いといて、『シリコンスチーマー』ってどんなのか教えてOTOYAくん!」
「あのー、あれだよ。レンジでチンするやつ!」
「はい。シリコンスチーマーっていうのは、その名前の通りシリコンでできた蒸し器に材料を入れてレンジで暖めたら、それだけで料理ができちゃう優れものなんだー。僕もこの前買ったんだけど、すっごく重宝してるよ」
「ねえ、俺の説明聞いてた?」
「だぁって、OTOYAくんの説明アバウトすぎるんだもん! 説明になってないよっ」
「HAYATOだってなんかウィキペ読んだみたいな説明じゃん!」
「ねーねー、トキヤはいつHAYATOになるの?」
「……何ですか、急に」
収録も近くなってきた頃の打ち合わせの休憩中、音也がとても不満そうな顔でトキヤを見た。
つい先ほどまではレンの新アルバムについて感想を述べあっていたというのに、全く脈絡がない。
けれど、音也が脈絡もない言葉を発するのは今さらだ。
トキヤはいつまでも変わらない彼を見て、安堵の息を吐く。
きっとそれは彼からすれば嘆息した風に見えるだろう。
「だって、生HAYATO見たい!」
音也はムキになったように言う。
「……今は嫌ですよ」
「なんで? どーしてっ?」
音也が顔を寄せてくる。
赤い視線から逃げるようにトキヤは顔を逸らした。
「私に何の実にもならないからです」
「えー、ケチー。俺、生のHAYATOって見たことないのにさあ」
「そのうちにやりますよ」
そんな会話をしていると、側にいたプロデューサーが身を乗り出してきた。
「俺も久しぶりに見たいなあ、HAYATO。収録日も近いし、そろそろHAYATOに慣れといた方がいいんじゃないの?」
味方を得た音也が心底嬉しそうな声を上げた。
「ほら! プロデューサーさんも言ってるよ!」
トキヤはふたりを見比べ、深く溜め息を吐いた。
もうずっとこのふたりに押されてばかりだ。
番組が無事に終わるまでこの調子かもしれないと思うと頭が痛くなる。
「……分かりましたよ」
息を吸い込み、気を引き締める。
話を受けてからは家で練習はしていたが、人前でやるのは初めてだ。
「――……おーはやっほー! 久しぶりで何だか照れちゃうにゃあ」にっこりと笑いながらポーズを決めて、ウィンクもして見せる。トキヤの時には素直に吐けない感情を言葉にする。
「うっわー、HAYATOだあ!」
音也がすげーすげーと声を上げながら抱きついてきた。
跳ねた心臓と気持ちは徹底的に無視をして、演技を続ける。
「もおっ、苦しいよ音也くんっ!」
「HAYATOー! あっ、サインちょーだい!」
HAYATOが苦しいと訴えてもがいても、音也は気にもかけずに離れようとしない。
それどころか力を込めてしがみついて離さない。
視界の隅に赤い髪が映っている。
音也は手加減をしていないようで、今までのものよりずっと苦しかった。
それに加えて、音也が首筋に顔をすりつけてきてくすぐったい。
人の笑い声が聞こえてきて、HAYATOは音也の耳元で大きく「音也くん!」と叫んだ。
声に驚いた彼の隙をついて引き剥がす。
「あ、ごめんごめん」
音也はそう言うが、両手はHAYATOの方に伸ばされたままで、今にも再度抱きついてきそうだ。
その両手を掴んで彼の膝に置かせたHAYATOが小首を傾げて彼を見つめる。
「ほんとにそう思ってる?」
「思ってる思ってる!」
思ってないなと思いながらも、HAYATOは追求するのを放棄した。
ふと見れば、プロデューサーは楽しそうに笑っている。
「笑ってないで助けてほしかったにゃあ」
「悪かったって。さ、俺が戻ってきたら再開するぞ。あと、打ち合わせが終わるまでHAYATOな」
彼もまたそんな風には思ってないであろう返事をしてから、部屋を出て行った。
その途端に音也が椅子を引いて、腕が触れる距離まで移動してきた。
少し動いただけで肘が音也に当たる。
そしてとても嬉しそうに微笑んでHAYATOの顔を覗る。
もう19歳になったのに、初めて会った15歳の頃から変わらない無邪気さだ。
「そんなに近かったらせーまいよお」
「だいじょーぶ!」
「……音也くん、さっきからすっごくご機嫌だよね」
HAYATOへと切り替わった時から、普段にも増して音也はにこにことしている。
惜しみない笑顔と好意がふんだんにこもった視線を向けられて胸が高鳴っていた。
「だって、HAYATOに会えたんだからテンションも上がるよ!」
「ふーん? もしかして、僕のファンなのかにゃ?」
「うん! 俺、HAYATOの事大好きっ!」
そして、トキヤが慎めと言った言葉を軽々しく口にする。
ざわめく心を無視して、HAYATOはにこにこと笑った。
「そっかあ、嬉しーなっ」
「よーし、再開するぞー」
「はーい」
打ち合わせが再開されても、音也はHAYATOのすぐ隣から離れようとしなかった。
何度も肘や手がぶつかりあう。
事あるごとに「HAYATO」と呼んで心からの笑顔を浮かべる音也に、どうせなら「トキヤ」と呼んでほしいと思いながらも、無邪気なそれにつられてHAYATOも微笑んだ。
「さて、OTOYA君。シリコンスチーマーの便利さと仕組みが分かったところで!」
ひとしきりシリコンスチーマーについて語った後、HAYATOはにこにことしてOTOYAを見た。
OTOYAも同じく笑顔をHAYATOに向ける。
「うん、何かなっ?」
「OTOYA君に実際に料理してもらいまーす!」
「えっ、俺が!? ……ちなみに俺の得意料理はカップラーメンとインスタントのカレーです!」
「不健康だね……。今回作ってもらうのは肉じゃがだよっ。覚えて帰って、おうちでも作るといいよ」
自炊をあまりしないことを得意気に言うOTOYAにため息を吐くが、すぐに微笑む。
「肉じゃが? そんなの俺が作れるかなぁ……」
不安そうに呟くOTOYAの背中を押して、材料と電子レンジが載せられたテーブルの前まで場所を変えた。
赤のエプロンをつけて、不慣れな手つきで包丁を握るOTOYAにHAYATOはアドバイスをしたり、手本を見せる。
少しして、不揃いでいびつな形ではあるものの材料を切り終えた。
「はい、できた! これでどうすんの?」
「材料をシリコンスチーマーの中に入れて、レンジで3分温めまーす」
「了解っ、3分だね」
OTOYAは頷き、その通りにする。
レンジが3分のカウントダウンを始めたのを横目に、OTOYAと他愛のない話をする。
3分経った後更に1分半掛けて蒸らせば、肉じゃがが完成した。
HAYATOはそれをカメラに向けて笑った。
「じゃじゃーん! OTOYAくんお手製の肉じゃががでっきましたー!」
「わー、おいしそう! それにいい匂い!」
食欲をそそる匂いが鼻孔をくすぐっている。
「料理とかあんまりしない俺でも本当に簡単に作れるんだね」
「便利でしょー」
そう言いながら肉じゃがをお椀に移していると、OTOYAが「早く早くっ」と隣から急かしてくる。
そんな彼を椅子に座らせ、テーブルにお椀と箸を並べてからHAYATOも着席した。
「よし、いただきまーす!」
「いただきまぁす」
そして、先に一口食べたOTOYAが子どものように笑った。
「おいしい! すごい、俺の肉じゃがおいしいよHAYATO!」
興奮した口振りでOTOYAが言い、HAYATOはじゃがいもの熱さに苦しみながら何度も頷く。
「 どう? おいしい?」
「材料切ってる時はほんとに大丈夫かにゃー……って思ってたけど、ほんとにおいしい!」
「えっ、そんなこと思ってたの?」
HAYATOの言葉にショックを受けたOTOYAが顔を寄せてきても構わずにもう一口食べてコメントをする。
「うん、お鍋で煮た時と同じで熱々のじゃがいもにお醤油が染み込んでるにゃあ」
「ちょっと、聞いてるー? もしもーし!」
「はい、OTOYAくん、あーん」
じゃがいもを箸でつまみあげてOTOYAの口元へと運ぶ。
雛鳥のように素直に開けられた彼の口の中にそれを放り込んだ。
「あーん……。……初めて作ったけど、やっぱりおいしーい。じゃなくてぇ! もうっ、HAYATOもあーん」
「あーん」
シナリオ通りにやっていることなのに、HAYATOの影から音也の事を好きなトキヤが顔を出して、照れて恥じらいそうになるのを無理やり押さえ込んで、HAYATOとして笑う。
「OTOYAくんの肉じゃがおいしーい」
「まあ、おいしいならいっかあ……。俺もこれ買って、家でも作ろっと」
少しして肉じゃがを完食をし、元の位置へと戻る。
「おいしい料理を食べられたところで、じゃあ、次のお題!」
「だだーん、『3D』!」
明るく言いながら、OTOYAは指で"3D"を表す。
「3D! 最近は映画もテレビもゲームも3Dだもんねー」
「HAYATOも今日は3Dだね!」
「あっ、OTOYAくんも3Dじゃん! お揃いだねー!それはそうと、3Dってすごいよね。ほんとに立体的に見えるもんね」
HAYATOが感嘆してみせると、OTOYAも大きく頷く。
「ねー! すごく臨場感があって、自分もそこにいるみたい! あっ、今俺が主演の映画がやってるんだけど、それも3Dなんだよ。おっきなスクリーンで飛びだす俺をよろしくねー!」
「へえ、どんなお話なのかにゃ?」
「俺は大学生の役なんだけど――」
「お待たせー! 早く行こっ!」
トキヤの家のチャイムが鳴り、ドアを開ければ音也が待ちきれない様子で立っていた。
腕時計で時間を確かめると、約束の時間からすでに10分経っている。
「……あなたが遅れてきたんでしょう」
「へへ、ごめんって。トキヤと出かけるなんて久しぶりだなあ、楽しみ!」
マンションの廊下に出て鍵を掛けているトキヤの背後で音也が喋っている。
ちゃんとロックされたかどうかを確かめていると、背中を数回叩かれて急かされる。
「早くってば!」
「少しは落ち着きなさい。何をそんなに興奮してるんですか?」
溜め息を吐いて、エレベーターの方へと歩き出すトキヤの数歩先を音也が行く。
振り返った彼は楽しそうに笑っている。
「だって、久しぶりのトキヤとデートだしさ」
「……デートではありません。番組の為に映画を見に行くだけです」
自分にだけ向けられた音也の笑顔と言葉に、トキヤの気持ちが浮つきそうになる。
そんな気持ちと音也から視線を逸らして反論した。
けれど、彼は耳を貸さずにエレベーターのボタンを押している。
テーマで「3D」を扱う事が決定し、その参考のために3Dの映画を見に行くことをプロデューサーから勧められた。
トキヤはひとりで見に行こうと思っていたが、音也に「せっかくだから一緒に見に行こうよ」と誘われて断れるはずもなく頷いた。
互いにこの後仕事が入っているので映画を見終われば解散だが、それでも久しぶりの音也との外出だ。
音也のようにはしゃぐことはできなくても、トキヤも本当は嬉しくて仕方ない。
音也とふたりで映画を見るなんて、まるであの部屋で並んでテレビを見ていた時のようだ。
やってきたエレベーターに乗り込んだ音也は、鼻歌を歌いながら帽子を被っている。
トキヤは嬉しさを悟られないように俯き、サングラスを掛ける。
「トーキヤ」
斜め後ろにいた音也が背中にぶつかってきたのと同時にエレベーターが揺れる。
トキヤの肩に顎を乗せた音也が目を細めて笑っているのが横目で見えた。
「何ですか」
「んー?」
彼は更に背後からトキヤの腹部に両腕を回す。
途端にトキヤの鼓動が大きく跳ねた。
エレベーターはまだ1階に着かない。
「なんか学生の時みたいだなーって思ってさ」
音也の言葉にトキヤは瞬きをした。
「あん時はよくふたりで出掛けてたけど、今じゃ全然だもんな」
音也は少し低い声で言う。
その声には過去を懐かしむ響きがあり、トキヤは寂しさを覚えた。
そんな感情を振り払い、呆れてみせる。
「……私もあなたも仕事があるんだから、仕方ないでしょう」
「まあね」
彼はあっさりと頷いて、トキヤから離れる。
その際に脇腹を思い切り掴まれて体が大きく震えた。
背後からの笑い声に顔が熱くなる。
エレベーターが1階へと着いた。
「映画、楽しみだね」
先に降りた音也が振り返りざまにトキヤに笑いかけた。
トキヤが3年も前から好きで仕方ないひまわりのような笑顔だ。
「ええ、そうですね」
トキヤはサングラスの奥で目を細めた。
「俺もねこのゲーム機持ってるんだけど、電源つける度に『おーっ、3Dだー!』って感動しちゃうんだよね」
話は映画からゲームの3Dへと変わっていて、画面が3Dで見られるのがウリのゲーム機でゲームをしながらOTOYAが言う。
「カメラ越しだと3Dに映らないみたいだから、テレビの前の皆には普通に見えてるけど、俺の目には3Dで映ってるんだよ!」
OTOYAが動かすままにゲームのキャラも動いている。
「ほら、みんな見てー! こんなに3Dだよー!」
ボタンを押していたOTOYAの手がHAYATOへと伸びて、頬をつついている。
「わっ、ほんとだー。最近の技術は進んでるにゃあ」
HAYATOも彼の鼻先を指で押さえる。
「HAYATO……、それ、ゲームじゃなくて俺だよ?」
頬をつついたままのOTOYAが首を傾げて困ったように笑った。
「分ぁかってるよっ! 先にOTOYAくんがやったんじゃん!」
「へへ、ごめんごめん」
悪びれずに言う音也とHAYATOは顔を見合せて笑った。
トキヤのままでは中々しない事だ。
今までに音也と番組で共演した事は数ヶ月前のトーク番組も含めて何度かあった。
その中で、今回が一番楽しくて充実していると感じた。
音也とふたりで番組を作っているせいか、久しぶりにHAYATOを演じているせいか、理由はよく分からない。
けれど、やはりHAYATOを演じることは好きだと思った。
HAYATOが持つものをトキヤは何も持っていないけれど、ゼロから彼を形成するもの全てを生み出すのは楽しかった。
本物を持つ音也の隣で、彼に負けないものを作り出せるのは嬉しった。
「続いてのコーナーは……HAYATOのライブです!」
「ファンの皆のために、頑張って歌うよっ!」
HAYATOがカメラに向かってピースをしてみせたところで、一度休憩を入れる。
OTOYAが一息吐いて飲み物を口にしてから、ライブ用のセットへと移動してギターを抱えた。
HAYATOの曲を弾き始めるOTOYAを見ながらHAYATOも喉を潤した。
彼には珍しく緊張した面持ちをしている。
思い出せば、リハーサルや練習の時も同じ顔をしていた。
スタッフと流れを確認する言葉を交わしてから、OTOYAの元へと行った。
OTOYAがギターを弾く手を止めてHAYATOを見る。
「どーしたの、そんな顔して」
本番の時もこんな顔をされるのは困ると思い、HAYATOはようやく理由を訊ねた。
「うん……。憧れのHAYATOの曲を弾くんだと思うと俺でいいのかなあってドキドキしてさ」
目を伏せて小さな声で言う。
彼も緊張するんだと思いながら、HAYATOは微笑みかける。
「キミなら大丈夫だよっ! だって、ギターすっごく上手くなったもんね」
「…………学生の時より?」
「あ、って、トキヤが言ってたよ?」
HAYATOはトキヤだと知っている彼にこんな言い方をしても無意味だと分かっているが、HAYATOのキャラの為に一応言っておく。
OTOYAが力を抜くように息を吐き、笑った。
「トキヤが言うなら大丈夫かな。俺、HAYATOの為に頑張るよ」
「うん! 僕もOTOYAくんに負けないように全力で歌うからねっ!」
彼と拳を軽くぶつけ、HAYATOは指示された位置へと立った。
一曲目はHAYATOの曲の中で最もアップテンポなものだ。
夢や希望への情熱を語るそれはライブでもよく序盤に歌っていた。
その曲のメインギターをOTOYAが弾いている。
学生の頃は聞くに耐えない技術だった彼も今では弾き語りのCDを出すくらいに腕を上げていた。
彼が弾くイントロに耳を澄ましながら、HAYATOはカメラに向かって微笑む。
そして、Aメロが始まると同時に踊り始めた。
HAYATOらしくところどころでリズムやピッチを外した歌い方をしながら、OTOYAに目をやる。
視線に気付いた彼が笑った。
いつもとは違う大人びたものだ。
HAYATOはまたもピッチを外した。
演技ではなく、彼の笑顔に動揺してしまったせいだ。
笑顔を絶やさぬようにして動揺を覆い隠しながら、彼から視線を逸らした。
あまりOTOYAを見ないようにしていた為か、その後は何もなく一曲目を歌い終わる。
OTOYAがギターをスタッフに預けるとすぐに二曲目が始まった。
次は甘いラブソングのバラードだ。
既存のHAYATOの曲をOTOYAとデュエットで歌う。
OTOYAと目配せしてから、HAYATOが歌い始める。
数フレーズ歌えば、次はOTOYAだ。
音也とこんな風に歌うのは初めてだった。
学生の頃に流行りの歌を一緒に歌ったり、音也の弾くギターに合わせて即興で歌ったりした事はあるし、手を抜いて歌ったつもりもないがあくまで遊びだ。
カメラの前で音也と肩を並べて歌っている。
それが心から嬉しかった。
サビに入り、OTOYAとHAYATOの声が重なる。
うまく溶け合って一つになっている歌声にHAYATOが笑顔を深めた。
歌の仕事が減ってしまったHAYATOを辞めたくて入学した早乙女学園で音也と出会い、願い通りHAYATOではなく一ノ瀬トキヤとしてデビューを果たして歌ってきた。
それなのに、今はHAYATOとして音也と歌っている。
だけど、それでもいいかと明るく思えた。
普段なら考え込むような矛盾なのに、そう思えるのはHAYATOを演じているからか音也の影響なのか分からない。
歌が好きで、歌いたくてアイドルとしてデビューした。
音也のことがずっと好きでたまらない。
自分と正反対のHAYATOを演じていたから、ここにいる。
今のこの瞬間にトキヤの心を占める全てが詰め込まれていた。
後少しで終わるこの瞬間が終わりを迎えてほしくなかった。
今が幸せだと言う歌詞に、心の底からその気持ちを乗せた。
きっと今が人生で最も幸福な瞬間なのだと思った。
トキヤは楽屋へと入り、一息吐いた。
音也は手洗いに行っていて、自分ひとりだけだ。
椅子に座り込み、ペットボトルに入ったお茶を飲む。
胸の中が高揚感と幸福感に満ちているのが分かった。
正面にある鏡に映る自分が微笑んでいるのを見て、更に目を細めた。
もしかしたら。
トキヤがまぶたを閉じる。
もしかしたら、「一ノ瀬トキヤ」を認められている今なら、「HAYATOは一ノ瀬トキヤが演じている」と分かってもらえる今なら、HAYATOともうまくやれるかもしれませんね。
そんな事を考える自分に、また微笑む。
今までなら考えなかったようなことだ。
そんな事を考えてしまうくらい、幸せを感じていた。
「お疲れーっ!」
ドアの開く音と音也の声を聞いて、トキヤは目を開けた。
「あれっ? 何で笑ってんの?」
音也が疲れを感じさせない声で言う。
トキヤが何でもないと答えようとした時、音也が先に口を開いた。
「ねっ、HAYATO。俺との番組どうだった?」
HAYATOと呼ばれ、トキヤは一度口をつぐむ。
もうトキヤですよと言ってもよかったが、もうしばらくならこのままでもいいだろうと考えた。
酒に酔ったように、頭の中がふわふわとしている。
「すーっごく楽しかったよ! 何より音也くんと一緒に歌えてほんとによかった!」
にこにこと笑ってみせると、隣に座った音也が距離を詰めてくる。
学生の頃から変わらぬ距離感のなさも今は気にならない。
「俺も俺も! ずっと憧れてたHAYATOとデュエットできて嬉しかった!」
「歌ってて、なんだか幸せになれてね、ずっと歌ってたいと思ったんだあ……。もちろん、ギターもよかったよ。ギター弾いてる音也くん、大人っぽくてかっこよかったにゃあ」
HAYATOを通してトキヤ自身の本音を伝える。
トキヤでならこんな事は口が裂けても言えない。
言うとしても、「まあまあでしたよ」や「ギターも悪くはなかったですね」などの言葉になるだろう。
「ほんとに? そう言ってくれる
なら、HAYATOのためにたくさん練習した甲斐があったよー」
「ありがとう、音也くん」
音也が今日のためにどれほどギター練習していてくれたか知っている。
少ない空き時間を全て費やして練習してくれたおかげで、今日の一曲目は成り立ったのだ。
HAYATOは音也の右手を握りしめて、心からの感謝を述べた。
「うんっ!」
一瞬驚いた音也はすぐに眩しい笑顔を浮かべた。
「……はあ、だけどこれでお別れだね」
HAYATOは彼の手を放して、そう呟いた。
音也とのデュエットは終わってしまったし、まるで学生時代のように音也とたくさん顔を合わせられる日々も、これで終わりだ。
明日からはまた、次はいつ会えるのかと思いながら、テレビの向こうの音也を見ている生活だ。
トキヤが顔を伏せてそんな思いに浸っていると、音也が勢いよく立ち上がった。
それと同時に両肩を掴まれる。
「音也……?」
唐突な音也の行いにトキヤが訝しみながら顔を上げた。
目の前に、今までにないほどの距離に、音也の顔があった。
何で、そんなに傷ついたような顔をしているんですか。
胸の中でそう思った瞬間、トキヤの唇に音也の唇が触れた。
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